Rambling Noise Vol.99 「LOST CHILD その22」
「ヨシ! オレも書く。ショートドラマの台本〜!」
飛行機をネタにしたプロットを思い付いたアサノさんは、『ドラマチック×シネマチックスクール』というコミュニティの運営を目論む加藤智久さんに、そう宣言した。
実は、ドラマというものは、アサノさんにとっては今回の『STAY HOME〜100人のラストジャッジメント〜』が初めてのことではなかった。
アサノさんは、ミュージカルはおろか舞台は2020年2月2日(日)のホリエモン万博で公演された『HIU版 クリスマスキャロル』
( 舞台公演の動画はこちら! https://youtu.be/pYldxyx7UvM )
が初めてだったが、映画もどきを作ったことは幾度かあったのだ。
しかも創作で。
アッと驚く為五郎。
それは随分過去のお話。Vol.20 「メルマガナイトへGo ahead! その8」でも若干触れたことだが、アサノさんは、高校三年生の時にビデオカメラを使ってプロデュース・脚本・監督・主演という昂然たる行ないをやっちまったのであった。
当時の電化製品の高価さと希少さは現代とはじぇーんじぇん比べ物にならない。
何故そんなことが可能だったのかといえば、小学校からの友人の一人であった、ちょっとヒョロイが気持ちの優しい伊藤博之くん(注:初音ミクの人ではない)のおうちの家業が「明日をつくる技術の東芝」系列の電気屋さんだったからだ。
「そういえば、横浜博覧会(1989年)の東芝パビリオン前にずらっと揃った等身大着ぐるみのサザエさん一家は、あんなだから頭がありえなーいデカさですげぇ気持ち悪かったなぁ」
いや、アサノさん、誰にも判りません。この横浜博に際してみなとみらいに大観覧車「コスモクロック21」がおっ建てられたなんてことも、多分誰一人として判りませんから。ほいで、その横浜博の跡地に「よこはまコスモワールド」が出来たなんてことも、だぁれも判りゃあしませんぜ。
ハーイー by イクラちゃん。
話は伊藤くんに舞い戻る。アサノさんの交友関係は、高校を卒業して上京する迄の間は、基本的に小学校の時に構築されたものだった。高校の同級生は茨城県下の雑多な地域からわらわらと日参登校してきていたので日頃の付き合いは殆ど皆無。アサノさんは地元である石岡市の連中と、のほほんと過ごしてきたのであ〜る。
さてさて、その石岡市の友人達を中心に、そこからアレコレ派生した人間関係やらツテやらなにやら使いまくり、仕舞いにゃアサノさんとは全然縁もゆかりも無いヤツまで大勢巻き込んで、自主制作ビデオ映画を一作こしらえてしまったのだから、世の中には案外と物好きが多い。
(続く)
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