見出し画像

Rambling Noise Vol.111 「SOMEDAY MY NEIGHBOR WILL COME その5」

っつうことで、

『機動戦士ガンダム』では内向的で戦いたくない主人公を、

続く富野監督作品の

『伝説巨神イデオン』では宇宙規模での皆殺し

を観せつけられたアサノさんは、おかげさまで、後の庵野秀明作品『新世紀エヴァンゲリオン』からはなんのショックも受け得なかったのだが、果たしてこれは不幸なのか、それとも僥倖であったのか。

しかし何故、『戦闘メカザブングル』の途中くらいから富野由悠季監督作品はつまらなくなったのだろう。(当社比)


ザブングルの共同原作者であり、メインライターでもある鈴木良武(別名義で五武冬史)は、あまりにも脚本を無視する富野監督に対して、非常に憤慨していたという話を聞いたことがある。
まぁ、『宇宙戦艦ヤマト』の制作時、悪のプロデューサー 西崎義展が富野由悠季にコンテを発注したところ、シナリオを無視して大いに書き換えられてしまい、激怒した西崎プロデューサーにはそれ以来交渉を絶たれたと言うし、元々そういうタチではあったらしいけども。

ま、多分、自身初のオリジナル作品となった『無敵超人ザンボット3』では前述の鈴木良武に、続く『無敵鋼人ダイターン3』では荒木芳久や吉川惣司、そして『機動戦士ガンダム』に於いては星山博之といったシナリオライターたちに、更には『伝説巨神イデオン』ではチーフデレクター 滝沢敏文などに大いに助けられていたのではないだろーか。
オリジナル作品初期の頃はまだまだ迷いながら作品作りに勤しんでいたのだろうと勝手に想像するワケだ。で、好き勝手に突っ走ったら「あらあら」ってなっちゃったんだろうなぁと思うのね。

アサノさんが特にイヤだったのは、戦闘中にその相手とベラベラ会話するシチュエーションがドッチラケだったし、ニュータイプや強化人間の諸君を筆頭に、なんでまたああもエキセントリックで自己チュウなキャラが目白押しなんだろうってのも我慢がならなかったのだが、「日本のマンガを未来に」手塚治虫生誕90周年記念会の会場で、富野監督を直に目にして大いに理解した。

目の前にいたのは、いかにもエキセントリックなハッスルおじさんだったからだ。


そんなこんなで、リアルタイム時には『聖戦士ダンバイン』の途中で投げ出してしまった富野作品であったが、後年、『聖戦士ダンバイン』と『機動戦士Zガンダム』は苦痛を感じながらもなんとか観通してみたのはなかなかエライ。(いやそんな義理も立場でもなんでも無いだろー!)
けど、『重戦機エルガイム』『機動戦士ガンダムZZ』は第一話でそれぞれアウトだった。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?