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『どろろ』 作者: 手塚治虫

まだ『ゲゲゲの鬼太郎』が、『墓場の鬼太郎』というタイトルだった頃、その水木しげるの漫画に大いにショックを覚え、妖怪モノを自分も描かねば! と思い余った手塚治虫が連載開始した、それが本作だ。

時代は戦国の世、室町時代。
妖怪たちに身体の四十八箇所を奪われて生を受けた百鬼丸は、己の身体を取り戻す為に、魔物を倒す旅を続けていた。
その百鬼丸の身体は、目も耳も鼻も両手両足も作り物だらけだ。
例えば、両手の義手を抜けば、そこには仕込み刀が仕込まれている、義足は火薬が詰まった爆弾と言った具合で、謂わばサイボーグ。百鬼丸は、その不具な全身を生まれ持った精神力の不思議で司っているのだ。
その旅の最中に出会ったどろろは子供の泥棒で、百鬼丸の腕の刀を戴くと言って百鬼丸につきまとい始める。

サイバーヒーローのハシリとも言える百鬼丸。ニヒルで無茶苦茶かっちょいいのだが、それまでの手塚作品の明るさを抑えた、暗〜くてで陰惨な作風は当時あまりウケがよろしくなかったらしい。手塚治虫自身も迷いを感じた様で、一旦連載を休止する。
テレビアニメ化に際し、掲載誌を移して連載再開をするも、放送終了と同時に漫画を打ち切りにしてしまった。
その理由は、「飽きた」というもので、いやいやそれを言っちゃあオシマイよ、というものだ。

また、1969年に放送されたテレビアニメ版もなかなか不遇である。
当時既にテレビはカラー化されていたが、スポンサーのカルピスが、画面に血がドバーっというのは不味かろうと意見し、モノクロで制作されたが、監督の杉井ギサブローは、却って大人向けっぽくてモノクロ結構と歓迎したと言う。
だが、ハードな世界観の所為か視聴率は振るわず、手塚治虫に、「どろろを何とかギャグ物にできないだろうか」と相談され、ブチ切れた杉井ギサブローは現場に行くのをやめてしまった。
残されたスタッフは右往左往しつつも、第十四話以降はタイトルも『どろろと百鬼丸』に改変し、低年齢層を意識したものへ路線変更した。
何はともあれ、最終話の第二十六話では、漫画とは違い、全ての魔物を倒し、オチも効いててちゃんとした形で完結しているのは救いである。

当時不人気だったとは言いつつ、本作の設定、作風はカルト的なファンも生み、本作に影響を受けたクリエーターも数多い。
実際、映画化、舞台化、漫画やアニメのリメイク版などが、近年でも繰り返し制作されており、今となっては名作とされているのだ。
また、手塚治虫には少年誌向けの明るい作風の正当手塚作品の他に、青年誌などに於いて掲載されたダークな作品も人気を博したのだが、これらは「黒手塚」と呼ばれている。
『どろろ』はその「黒手塚」の始まりだったと言えるのかもしれない。


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