『ア・ホーマンス』 作者: 狩撫麻礼、たなか亜希夫
松田優作により映画化された本作だが、記憶喪失の主人公が放浪している、という点以外は全く別物なので悪しからず。
映画の脚本を務めた丸山昇一によれば、松田優作が本作のある一コマを差し、「主人公のこの表情を映画にしたい」という一言で脚本がスタートしたらしい。
余談となるが、この映画は撮影が始まってから監督と松田優作との作品の解釈が大きく乖離してしまい監督が降板、松田優作が自ら監督を務め、脚本も大幅に改稿した。
松田優作が、主演と監督を務めた最初で最後の作品なのである。
また、優作の推薦による、石橋凌の俳優デビュー作でもある。
映画は、主人公を含め、暴力団抗争に巻き込まれる人々が軸になっているが、一方の原作は、むしろヒューマンドラマといった風情である。
主人公の男は新宿サブナードで浮浪者たちに混じり合って生活していた。
どうやら浮浪者たちの証言によれば、深酔いしてヤー公のケンカに巻き込まれて気絶していたところを浮浪者に助けられたらしいが、打ちどころが悪かったのだろうか、名前も素性も思い出せない。男はそう言い、そのまま彼らと共に日々を過ごしていた。
ポケットには複数枚の名刺。
「警察に出頭するか、その名刺を頼りになんとかなりそーなもんだけど、当人がヤダってんじゃなァ・・・・・」
浮浪者たちも訝しむのに対して、男は呟いた。
「多分・・・・・オレはこの中の誰かのような気がするんだ・・・・・。だけどなんとなく以前の事を知るのが恐ろしい・・・・・。もしかして自分は・・・・・灰色のサラリーマンだったのでは・・・・・」
出来事を面白がったテレビ屋がその男に食い付いた。
最下層の浮浪者たちの友情で、その男の身元が割れる。そして家族との感動の御対面。ゴールデンアワーの特番で決まり! と目論む。
隠し撮りと、男の背景の探索を並行して進めるテレビ屋は、男の素性は、仙台市在住の建築デザイナーであったと突き止めた。
だが、男の妻を訪問したテレビ屋たちは、意外な妻の反応に動揺する。
元の生活に戻りたくない・・・・・。その夫の言葉を受け入れようとするかのような妻の言動。
「きっと、心の奥底の何か・・・・・までは眠らせることができなかったのね・・・」
果たして、男の過去には何があったのか。
テレビ屋たちの思惑に感づいた男、そして男を愛する妻、それぞれの選択は?
短いながらも密度の濃い作品である。
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