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あれから13年

年度末ですね。
スーツケースをひいた親子や、役所の転入届の行列を見るに、ああ新生活が始まる人がたくさんいるんだなぁとしみじみします。


2011年3月11日、私は当時の自宅、札幌市にいました。家には私ひとりで、のんびりと本でも読んでいたような気がします。
ふと揺れを感じてすぐに、地震だと思いました。北海道が揺れるなんて珍しいなと思ってテレビをつけました。
予想以上の光景が、そこには映っていました。

私たちの代はそのころ、大学の後期二次試験があって、友達の何人かが東北に先入りしていました。ホテルで被災した友人が何人もいました。
結局、試験が受けられず、当時のセンター試験の得点だけで合否が決められた子もいます。二次試験で挽回を考えていた子が茫然としていた一方で、二次試験に自信がなかった子は安堵していたりもしました。
志望大学には合格したけれども、家族が被災するなど事情があって、入学を辞退した子もいました。辞退はしなかったけれども、親戚が津波に流されまだ見つかっていないという話を、4月に出会った友人から聞きました。
多くの同世代の人たちにとって、その後の進路を大きく変えた日でした。

私にとって、3.11から何年とは、東京に来て何年と言い換えることができます。
上京してたくさんの出会いがあり、価値観を揺さぶられることがありました。間違いなく、親元を離れて育った土地を離れたことは今の私を形づくっています。

入った大学もたぶん変わった人が多くて(褒め言葉です)、入学式は面倒だから来なかったという友人の言葉に当時「真面目」と名高かった私は衝撃を受けました。
いきなり無声両唇破裂音で会話をし出した人たちがいて、友達になれないと思ったけど、彼らにはその後4年間だいぶお世話になりました。
夜中の公園で花火をしたり夜中のコンビニ前でカップ麺を食べたり夜中の友人宅で酒盛りをしたり、眠い目をこすりながらも楽しかったあの頃のことはかけがえのない思い出です。

大学の友人たちとは今もたまに会うことがあるけれど、会えばやはりみんな大人になっていて、仕事や配偶者や家や子どもの話、それもそれで感慨深いんだけど学生だったあの頃には二度と戻れないんだろうな、と一抹の寂しさがあります。

大学を卒業してから始めた10年日記も今は8年目となり、我ながらこれだけは本当にちゃんと毎日継続していて偉いです。
新卒で入った会社は当時も今振り返ってもザ・昭和! のワンマン経営だったけれども、そこで会った先輩や上司の人のよさが私に与えた影響は大きかった。当時は失礼極まりない態度で業務改善を推し進めていたもんだから、今ならばもっとうまくやれたと信じたい。

退職したあと、国保に切り替わるとき職業欄に「無職」と書いた時のなんともいえない感情は忘れられません。

たくさん調べて悩んで考えて、福祉の道に入ってみようと専門学校に入学した年が、コロナパンデミックの始まりの年でした。


この世界には大きな理不尽がたくさんありますが、小さな奇跡もたくさんあります。
どうか、皆さまの新生活に、幸あれ。

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