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トルファン、軽トラックで火焰山へ 1987.8

1987年、中国・シルクロードの旅。新疆ウイグル自治区のオアシス、トルファンの宿と食について、4回に分けて書いたので、次は名所旧跡について書く。

トルファン郊外には、火焰山、交河故城、アスターナ古墳等、観光名所が多数ある。これらを効率よく巡る軽トラックのツアーが街の中心部からいくつも出ていた。

その多くはちゃんとした旅行会社が催行したものではなく、個人事業主が軽トラックを改造して営業する「白タク」のようだった。当局の許可の下、営業していたかもしれないが、私にはそのようには見えなかった。

ホテル前でも、常時、2、3台の軽トラックが客引きしていた。私は同じドミトリーに宿泊していた日本人2人と一緒に値段交渉の上、1台の荷台に乗り込んだ。料金は1台50元くらいだっただろうか。3人で割り勘にした。朝9時頃に出発して、昼15時くらいにホテルに戻った。

コースはこんな感じだ。

ホテル → 火焰山 → 高昌故城 → アスターナ古墳 → カレーズ地下水道見学 → 交河故城 → 蘇公塔 → ホテル

前の運転席・助手席にはウイグル族の若い運転手と助手。後ろの荷台に旅行者3人が乗った。

荷台には左右両側に木製のベンチが備え付けられていて、乗客は向かい合うように座る。荷台の上には何本かの鉄製の支柱がアーチ状になっており、それらにホロが渡してあった、窓はなく吹きさらしだ。

なので、走り始めると風がびゅんびゅんと入ってくる。トルファンは灼熱の盆地のため、熱風が肌をなでる。

熱風を感じながら市街地を出ると、20分ほどで最初の名所・火焰山が一望できる場所に到着した。

標高約500メートルの山頂が、長さ98キロメートルに渡って横たわっており、遠目に見ると炎の壁のように見えた。炎に見える模様は、砂岩が縦に侵食されて赤い地肌を見せたもの。火山活動による溶岩が、長い期間を通して侵食で削られ、この風景が生まれたという。

火焔山は小説『西遊記』の中で、炎が上がる山として描かれている。また、漢の時代の伝承では、猿の王が天界で窯をひっくり返した残り火が地上に落ちたものといわれている。

一方、ウイグル族の伝承では、天山山脈に住んでいた竜が子供を食い殺したため、彼らの英雄が竜を8つに切り刻んだ。それらが火焔山となったので、山肌が竜の血で赤く染まったとされる。

炎にしろ、血にしろ、まさに「火焰山」という名にふさわしい場所だった。

夏の平均気温は摂氏50度。日差しが半ズボンから露出した肌をジンジンと刺した。15分ほど火焰山を眺めたり、記念写真を撮影したりして、次の見どころ・ベゼクリク千仏洞に向けて出発。

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