20世紀の旅人

50代のサラリーマンです。 私がまだ「青年」だった頃、1987~1999年、20世紀に旅した海外旅行の思い出を書き残しておきます。 記憶を手繰り寄せて、旅心を取り戻すために。

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50代のサラリーマンです。 私がまだ「青年」だった頃、1987~1999年、20世紀に旅した海外旅行の思い出を書き残しておきます。 記憶を手繰り寄せて、旅心を取り戻すために。

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  • 20世紀の旅の記憶-1987年 中国編

    50代サラリーマンです。 私がまだ「青年」だった頃、1987~1999年、20世紀に旅した海外旅行の思い出を書き残しておきます。 記憶を手繰り寄せて、旅心を取り戻すために。

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前世紀の旅の思い出、記憶の地層を発掘

1987年の夏、初めて日本を出た。21歳。大学三年生だった。つたない記憶をたどって、その時の思い出を綴ろうと思う。 行き先は中国。中学生の時、NHKで見たシルクロードをいつか旅したいと思っていた。二ヶ月間アルバイトで働いて貯めた10数万円と、親から援助してもらった10万円。手持ちはお金は20数万円だったと思う。 この予算じゃ、飛行機の旅は厳しいので、中国へは船。国際フェリーの鑑真号で上海へ向かった。

    • ハミ、エイティガールモスクで記念写真を撮って公務員のあんちゃんと別れる 1987.9

      空色と深緑色のタイルで彩られたモハメド・ビシル廟の隣には、まったく違った洋式の木造建築があった。 歴代の執政が眠る台吉墓だ。「台吉」とは、清代に清王朝がモンゴルの王侯・貴族に与えた一種の爵位。 清朝末期から中華民国初期に建てられたもので、漢族、モンゴル、イスラムの各様式が混在しているのが興味深い。 モハメド・ビシル廟と台吉墓に向かい合って平屋のモスクっぽい建物があった。中に足を踏み入れたところ誰もおらず、コンクリートの広間となっていた。広間の縦横に、赤い柱が約5メートル

      • 自転車の公務員と二人乗りでハミ王墓へ 1987.9

        明朝の鉄道出発時間まで半日ある。ハミ(哈密)は新疆ウイグル自治区は西にあるので、日暮れまでたっぷり町をぶらつく時間があった。 地図はなく、ハミの町にどのような見どころがあるか分からない。行く宛もなくホテルから天山路を南に歩いていると、白い制服に黒いサングラスをした鉄道公務員風の若い男性(というより「あんちゃん」)から声がかかった。 カバンの中からノートとペンを取り出し、自分は日本人であること、旅行をしていること、観光の見どころはないか?等を筆談で伝えた。 すると、あんち

        • ハミ、屋台で激辛清真麺に咳き込む 1987.9

          昨夜は列車の床に寝転がって足を伸ばせたので、気持ちのよい朝を迎えることができた。ハミ駅(哈密)には朝10時か11時に到着した。フレームザックを担いで列車を下り、まずは駅の窓口で、翌朝の柳園までの硬座(二等座席)の切符を買った。柳園は敦煌に最も近い鉄道駅だ。 ハミ駅の駅舎を出ると、ウルムチと比べて街の規模がずいぶんと小さなことが分かった。駅前の通りはがらんとしており、数台の車のほか、ロバの馬車も停まっていた。とりあえず宿を探すべく、駅前からまっすぐ延びる通り「天山路」を歩くこ

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        • 20世紀の旅の記憶-1987年 中国編
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          列車の床に寝転がってウルムチからハミへ 1987.9

          ウルムチからさらに西に行くことも考えたが、予算的に厳しそう。ここから東に転進して、天山南路(新疆ウイグル自治区)と河西回廊(甘粛省)のオアシス沿いに西安(陝西省)を目指すことにした。 まずはウルムチ始発の鉄道・蘭新線で新疆ウイグル自治区の東の町・ハミ(哈密)へ。当時の時刻表を確認すると、ウルムチを夜遅めに出発する列車は、22時4分発の西安行き急行と23時発の北京行き特急がある。ハミ到着は西安行き急行が翌朝11時7分、北京行き特急が10時9分。どちらに乗ったかは覚えていない。

          列車の床に寝転がってウルムチからハミへ 1987.9

          ウルムチでウイグル語のハンコを作る 1987.9

          ボゴダ峰登山の翌朝、ぐっすりと寝たので気持ちのよい目覚めだった。上海上陸以来、ここまでの旅で味わえなかった高原の朝。昨夜、パオで二人きりで寝た女子大生もほぼ同じタイミングで起きた。 彼女とは同じ歳だし、わざわざ夏休み旅行に(バリバリの社会主義時代の)中国を選ぶくらいなので、気が合わないわけがない。小柄で可愛い女子だったが、昨夜は二人とも登山であまりに疲れてしまい、幸いにも「若気の過ち」にはいたらなかった。 彼女とは住所と電話番号を交換してウルムチで別れた。その後文通を重ね

          ウルムチでウイグル語のハンコを作る 1987.9

          天山山脈の主峰・ボゴダ峰に登る 1987.9

          ボゴダ峰(5,448m)は天山山脈の主峰。白い頂きが青空に輝いている。一日かけで雪渓までガイド付きのツアーがあるので参加した。 参加者は6人。日本人の大学生4人とイギリス人と香港人の夫婦。うち2人はその日のうちにウルムチに帰るため途中で引き返し、私と同じ歳の東京の女子大生、香港人・イギリス人夫婦の4人が、雪渓まで登った。 出発は朝5時。まだ周囲は暗い。標高2,000mの朝は夏でも寒い。長袖シャツの上にトレーナーを着て、その上にウィンドブレーカーを羽織った。防寒のため人民帽

          天山山脈の主峰・ボゴダ峰に登る 1987.9

          天山天池、カザフ族のパオの夜 1987.9

          天池は、中国人の多くの旅行者は湖の北にある展望台から、青い湖の先に雪を抱いたボゴダ山を見てその日のうちにウルムチに帰っていた。一方、日本人と香港人のバックパッカーは、湖の遊歩道を数キロ歩いたところにある、カザフ族が経営するキャンプ場で1泊した。 カザフ族は中央アジアの民族で、現在、カザフスタン共和国に約800万人、新疆ウイグル自治区に130万人が住んでいる。カザフとは「部族を離れた自由な人」「放浪者」という意味を持ち、20世紀初めまでは移動可能なユルト(パオ)に住む遊牧民族

          天山天池、カザフ族のパオの夜 1987.9

          80年代の人気行事、大学3年生・夏の海外旅行

          1980年代、大学3年生の夏の海外旅行は、卒業旅行と共に人気の行事だった。中国各地で大学3年生の旅行者に出会った。同い年、同級生なので話は弾む。 ウルムチ郊外の天地を旅したときも、トルファンから同じバスに乗っていた大学3年生の女子2人と、大学2年生の男子と自然に一緒になった。全員、もともと一人旅だったが、すぐに気心が知れて友達になれた。 松任谷由実の「ずっとそばに」(アルバム『REINCARNATION』収録)という歌に「疑うこともなく、友達といえた日々へ」というフレーズ

          80年代の人気行事、大学3年生・夏の海外旅行

          風光明媚な観光地・天山天地へ 1987.9

          ウルムチに着いた翌日には、風光明媚な観光名所・天池に向かった。中国にはもう一つ天池があり、中国吉林省と北朝鮮の国境にあるカルデラ湖を指す。こちらは天山天池または新疆天池とも呼ばれている。2013年には世界自然遺産「新疆天山」名称で登録された。 天池は、新疆ウイグル自治区の北部に横たわる天山山脈の東端、ボゴダ山(5,445m)の中腹(海抜1,928m)にある氷河湖。南北に約3km、東西に1.5kmと広さはそれほどでもないが、湖の深さは105mもある。 湖面は青く、周囲には針

          風光明媚な観光地・天山天地へ 1987.9

          新疆の大都会ウルムチへ 1987.9

          新疆ウイグル自治区のオアシス・トルファンには1週間滞在した。旅の目的地の一つがこの町だったので、憧れだった「西域」を十分に満喫できた。ホテルのベッドで1日うだうだ横になっていたので、体調もよくなった。 7日目の朝、長距離バスで新疆ウイグル自治区の省会地(省庁所在地)ウルムチに向かった。距離150キロ。4時間ちょっとの行程だった。1991年版の『地球の歩き方』によるとバス代は7.9元(約300円)。 トルファンは海抜がマイナス154m。一方、ウルムチは標高919mの高原にあ

          新疆の大都会ウルムチへ 1987.9

          ホテルの中庭で見たウイグル族の舞踊ショー 1987.9

          トルファン滞在最後の夜、トルファン賓館の中庭で、滞在客向けにウイグル族の舞踊ショーが開かれた。ショーは45分間ほどあっただろうか。街なかでは見られない、民族衣装を飾った美しい少女たちがテンポの速いダンスを披露した。 華やかな舞踊もさることながら、異国情緒あふれる音楽に耳を奪われた。ハープを横に置いてバチで叩くような楽器、日本で見たことのない大ぶりのギターやタンバリン、それらが繰り出す不思議な響きの虜になった。 帰国後、NHKのシルクロードの書籍で、「胡旋」という舞踊を舞う

          ホテルの中庭で見たウイグル族の舞踊ショー 1987.9

          トルファンの暑さにやられて寝込んだ 1987.9

          1987年の中国旅行の記憶をたどり、この「日記」を書き始めたのが2019年1月下旬。1年が過ぎた。 にもかかわらず、1987年8月18日に出発して、現在のところ18日間が経過した程度。このペースだとこの旅の記録を書き終えるのに、あと2年はかかってしまいそうだ。 しかも、全50ページほど書いた中で、新疆ウイグル自治区のオアシス・トルファンで15ページを割いている。実に思い出深い町だった。 もう少しばかり、この町の思い出に浸っていたい。 前にも書いたが、トルファンの町があ

          トルファンの暑さにやられて寝込んだ 1987.9

          オアシスを潤す地下用水路「カレーズ」 1987.8

          トルファンの半日ツアーは、炎天下、主に遺跡を中心に見どころを巡った。ツアーの中で一服の清涼剤的なスポットが「カレーズ」だった。 カレーズはオアシスの地下用水路(暗渠)のことだ。天山山地の雪解け水を高所からカレーズを通してトルファン盆地の農地に導き、その水を利用して農作を行う。貴重な水の蒸発を防ぐことができるのが、地下用水路のメリットだ。 カレーズの長さは約3キロ、最長10キロ。トルファンには1,000本以上のカレーズがあり、総延長4,000キロに及ぶという。この水路網がト

          オアシスを潤す地下用水路「カレーズ」 1987.8

          トルファンもう一つの廃墟「交河故城」 1987.8

          トルファン郊外の観光名所を巡るツアーでは、2つの都市の廃墟を訪れた。一つはすでに書いた高昌故城、もう一つが今回書く交河故城だ。 廃墟という点では、2つの故城は同じような風景に見えた。交河故城は台地の上にあり、外側が断崖になっているのが特徴。街全体が防御に秀でた城跡のように見える。街全体が細長い葉っぱの形をしていて、葉の外側が河になっている。先端はまさに「河が交わって」いる。 中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡であり、版築で築かれた点で世界最大・最古とされる。 版築(は

          トルファンもう一つの廃墟「交河故城」 1987.8

          美しいミナレット・トルファンの蘇公塔 1987.8

          「ミナレット」とは、イスラム寺院・モスクに付属する塔のこと。塔の上にはしばしばスピーカーが付いていて、朝な夕なに礼拝を呼びかけるアザーンが流される。 蘇公塔はそんなミナレット。1778年建設、新疆ウイグル自治区に現存する最大の古塔だ。 塔の高さは44メートル、土台の直径は10メートル。中東のイスラム諸国で見られるミナレットに比較すると、でっぷりとしたスタイルが特徴。 塔の表面には三角形、さざ波、菱形などの15種の幾何学模様が描かれていて、独特の美しさを持つ。華麗な色使い

          美しいミナレット・トルファンの蘇公塔 1987.8