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自転車の公務員と二人乗りでハミ王墓へ 1987.9

明朝の鉄道出発時間まで半日ある。ハミ(哈密)は新疆ウイグル自治区は西にあるので、日暮れまでたっぷり町をぶらつく時間があった。

地図はなく、ハミの町にどのような見どころがあるか分からない。行く宛もなくホテルから天山路を南に歩いていると、白い制服に黒いサングラスをした鉄道公務員風の若い男性(というより「あんちゃん」)から声がかかった。

カバンの中からノートとペンを取り出し、自分は日本人であること、旅行をしていること、観光の見どころはないか?等を筆談で伝えた。

すると、あんちゃんは「自転車の後ろに乗れ」とジェスチャーで示した。いかにも業務用の黒い自転車だった。お言葉に甘えて後ろの荷台にまたがった。

あんちゃんはぐいっとサドルを踏み込み、西北特有のホコリが舞う舗装路を走り出した。(流行歌だろうか)中国語で鼻歌を歌いながら、ゆったりとした速度で自転車を走らせる。

10数分ほど走り、空色のタイルを外側に貼られたモスク風の建物の前で自転車を停めた。ドームのような建物上部と下部の縁のみ深緑色のタイルとなっている。間近でタイルを見ると唐草のような紺色の文様が描かれていた。空色に見えるのは紺色の文様と地の白が混じって見えるためだ。

ただ、建物はかなり傷んでおり、外壁のタイルの多くは剥がれ落ちてしまっていた。特にドームの部分がひどく、全体の30%程度しか残っていない。

中に足を踏み入れると石の棺が並んでいた。どうやら王族もしくは貴族のお墓のようだ。棺にはウイグル語の黒い文字で何か書かれている。たぶん棺に納められた人物の名前だろう。

天井を見上がると、外壁と同じような文様のタイルがぎっしりと貼られていた。こちらは外側と違ってよい状態だった。

帰国後ずいぶんしてから、ここがハミ王国の王族の眠る「ハミ回王墓」であることが分かった。ハミ王国は清朝を後ろ盾にしたウイグル族の地方政権。1697年から1930年まで9代にわたりハミを統治した。

この建物はモハメド・ビシル廟で、第7代ハミ王のモハメド・ビシルと一族40人が眠る。1840年に完成したという。

この廟の現在の状態が気になりネットで検索したところ、すっかり修復されていることが分かった。日に輝く深緑色のドームが美しすぎるほどだ。

モハメド・ビシル廟の中を見ている間、あんちゃんは外で暇そうに待っていてくれた。仕事は大丈夫なのか、ちょっと気になった。

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