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オアシス都市の廃墟「高昌故城」 1987.8

「都市の廃墟」を最初に見たのはいつだったろう? 確か小学生の頃、子供向けの科学図鑑で読んだイタリア・ポンペイの遺跡だった気がする。広大な街が火砕流で埋もれた風景。石化した遺体が街の各所に埋もれている風景は、空虚で恐ろしかった。

そんな空虚で恐ろしい風景を初めてリアルに見たのが、1987年夏、トルファンの高昌故城だった。

高昌はかつて存在したオアシス都市国家。古くは漢の時代、この地に軍事駐屯地が作られたりはした。“王”が治める「高昌国」として成立したのが460年。その後、498年に漢民族の麴嘉が王に即位。640年に唐の太宗によって滅ぼされるまで、麴氏一族の治世が約140年間続いた。

高昌国には三蔵法師のモデルとなる玄奘が訪れ、麴氏は彼の旅をサポートした。玄奘の『大唐西域記』はこの国から始まっている。

玄奘が天竺への旅の帰りに立ち寄った時には、高昌国は唐にすでに滅ぼされていた。その後も街は残り、ウイグル民族系の高昌大王府が置かれたが、13世紀にモンゴル軍の攻撃に遭い、廃墟となった。

高昌故城はそんな高昌国の王都の跡。東西が約1.6キロ、南北が約1,5キロ、街の領域はほぼ正方形だ。約2.4平方キロの広さだが、実際に目の前で見ると、それ以上の広さがあるように感じた。

大路や宮殿のほか、天井が崩れ落ちたような巨大な円形の建造物があった。仏塔の跡だろうか。灼熱の太陽の光に照らされて、すべてがカラカラに乾いている。

広大な廃墟に人の気配はまったくない。「空虚」という二文字が本当に似合う遺跡だった。

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