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小児リウマチになった話 Part2

ども!ケーシーです!

前回に続いて、私が「小児リウマチ」という病気にかかった経験について書いていこうと思います

前回記事からの続編のなりますので、もし読まれていなければPart1を読んできただければ嬉しいです!


闘病生活の始まり


2007年8月初旬

体調が中々良くならない私は、母に連れられて大きな市立病院へ行きました

中々下がらない発熱や異常な発疹を見るや、病院の先生はすぐに入院が必要だと言いました

私は、慌ただしく入院の準備をする母を見ながら、幼いながら恐怖感が込み上げてきたのを覚えています

母は入院手続きのため一旦席を外し、その間私は血液検査等の精密検査をしました

検査終了後、大きな入院用の病棟へ通された私は、そこで先生から「小児リウマチ」を発症していることを告げられました

そしてここから私の約半年に及ぶ入院生活が始まることになりました

小学1年生当時の不安

苦しかった出来事を挙げればキリがありませんが、特に苦しかったのはやはり「孤独感」に苛まれることです

入院中は、両親は近くにいないことがなかったので、何度も泣いていたことを覚えています

今思えば、かなりの頻度で両親は面会に来てくれていたと多います

週に5日は来てくれていましたし、いつも私がねだったものを持ってきてくれていました

それでも、まだ自立もままならない私にとっては寂しい思いが消えることはありませんでした


さらに孤独感を掻き立てたのは、私が6人部屋で1人であったという状況にあります

両親が面会にきてくれるまでの間(約半日)はずっとテレビを見るかゲームをするかしかありませんでした

しかし、ふとゲームなどをやめてみると、しんとした空気だけが張られており、先の見えない闘病生活の恐ろしさを表している様でした


また、孤独感意外にも私の心を蝕むものがありました

それは、当時の私の状態です

簡単に説明しますと、毎日点滴を2時間以上流し、炎症を抑えながら病床での生活を送っていました

というのも、今ほど確実な治療方法が確立されていたわけではなく、「炎症を抑えながら病気の進行を止め、体の自然治癒機能に期待する」というスタンスのもと私は入院していました

そのため、入院中の私はぐったりした状態が続いていたわけではなく、むしろ家にいるように明るく生活を送っていました

実際、当時の私を知る看護師の方によると、「入院してきた子とは思えないくらい明るかったよ」と何度も言ってもらえることもありました

しかしその状況こそがもどかしい思いを生んでいました

小児リウマチの療養において「これだ!」と言える確実なセーフティーラインはないそうです

療養期間を終えても日々の疲れが募り再発される方、一旦療養が終わったと思うも小さな種火が残っており、再燃される方

不治ではありませんが、完治は難しい病気の一種だそうです

実際私も、記憶している限りでも、3回再燃させています

上記のようなシチュエーションが想定されるため、より慎重に治療を運んで行かなければならないのですが、当時の私はそこまで理解できませんでした

元気なんだからと退院を希望していましたが、主治医の方に何度も冗談を交えつつ言った覚えがありましたが、その度に「もうちょっとしたらね」とはぐらかされるばかりでした

このような状況から、幼いながらに「俺って退院できないんじゃないか」と不安になる気持ちが日に日に強まっていたのです

Part3へ続く

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