もし自分がその場にいたら

あまり詳しくはないのだが、昨年10月、ホンジュラスなどの人々の集団が、メキシコを通過し、アメリカ合衆国を目指したという出来事があった。

暴力や貧困、アメリカにいけばなんとかなる、ここにいては生きていけない、想像するしかできないが、様々な思いを抱えて、彼らは母国を出発した。ただ、アメリカに行くには、必ず通らなければならない大きな国がある。メキシコだ。メキシコを「無事に通過」すること、彼らがまず目指したものであった。

一方、メキシコの人にとっては、この一団はどう映ったのだろうか。「無事に通過」には、十分な食料・移動手段・休む場所が必要になる。メキシコの協力が不可欠なのだ。ただ、メキシコの人々にとっては自分たちの食べ物、移動手段、休む場所を、彼らに提供しなければならないことを意味する。お金や資源が十分にある国なら、まだ可能性はあるかもしれないが、メキシコは豊かな国ではない。南部の2州、チアパスとオアハカは特に観光資源でなんとかもっている印象さえ受けてしまう。

そんな彼らは、国の助けを借りながら、一団を支援したのだ。友達や先生はその理由を「助けなければならないから」と話してくれた。あたりまえだ。そう、メキシコ人である以前に彼らは人間であり、困難に直面してもなお前に進もうとしている人たちに手を差し伸べる。それは彼らにとっては、しかたないなあ、という気持ちはあったかもしれないが、普通に行うことだ。

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じゃあ、僕がその場にいたら?オアハカの話ではなく、日本の話だったら?僕は同じような反応ができただろうか。

オアハカの人たちは本当にすごい。この世界を少しあたたかくするには、あたりまえでしょ?ってことをあたりまえにやることなんじゃないか。

僕は、ここにくるまでそんなこと全く知らなかった。彼らの足跡をたどってみたが、どうやら時間が足らなすぎるようだ。

貧困状態にいるわけでも、暴力に日々苦しめられているわけでもない自分が、同じ道をたどったところで、どこまで実感がわくかなんてわからない。ただ最低限少しでもその空気感を味わわなければならない気がしている。

もともと全く計画にないことな上に、語学学校の授業、日本語の授業、帰るまでに読まなければと思っている本、せまりくる復路の飛行機の日程、そんなものに追われている。

どうしよっかな

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