子育てと音楽に触れて再確認した私が音楽をする理由
偶然の出会いで、リトミック講師として音楽サロンのお手伝いをさせていたことがあります。
ミラノ在住の日本人を対象とした文化交流を目的としたサロン。
留学、転勤などなどの事情で、イタリアに限らず、外国に来る日本人は入れ替わりが激しいです。例えば学生であっても、滞在許可証の更新ができる年数のリミットがあり、年々移民が増えている都合で更新の条件も少しずつですが厳しくなってきています。
さて、私が担当していたクラスは、前任の先生の退任以降人材がおらず一旦閉まっていましたが、所長さんの強いご希望で再出発を一緒にさせていただきました。
クラス自体は未経験でしたが、日本に住んでいた時も、妹の出産がきっかけで100人規模という細々とでしたが0歳児から対象にしたコンサート運営も行っていたので、特に不安はありませんでした。
日本の子育てサロンのご担当者様、それに出演・ご協力いただいたみなさん、その節は大変お世話になりました。
泣いている子がいても当たり前、すぐにできなくても当たり前、やりたがらなくても当たり前
これらはすべてネガティブなものではありません。みんなが通る可能性をもっていること。
先程妹の出産がきっかけでコンサートをという話を書きましたが、その目的は実は「親御さんたちが気軽に出かけられる場を作りたい」という意識が強かったです。
今でこそ子連れで気軽に出かけられる場所は増えましたが、当時はSNSでも子育てをしていて肩身の狭い思いをしているという発信が目新しいころで、ただでさえ寝不足などと闘いながら子育てをする人たちが外に出れば辛い思いをするなんて…と思ったのです。
歌を始めると決めたことも元を辿れば自分のつらい経験からくるものでした。当時つらい思いを癒してくれたのが音楽だったから。その時に歌うことを強く勧めてくれた人たちがいて希望を持てたから。
そして子どもだけでなく大人も癒しが必要な世の中だと強く感じたから。
そういう想いをもちながら、私に何ができるかしらと考えながらのベビークラスがはじまりました。講師2人組によるレッスンで、その日の様子をみながら急遽内容を変更しながら手を替え品を替え、毎週毎週爆発的細胞分裂をし続けるお子さんたちと、試行錯誤しながらその子たちを守り続ける親御様と、楽しくレッスンを進めておりました。
子育てのご経験がある所長と、大学時代は先生のお子さんのベビーシッター、初孫でいとこや甥姪の面倒をみていたくらいの私。
子育てについての考えを求められた場合には子ども側の意見を言うことに徹していました。(親対子、という対立構造ということではなく、常に経験した立場からの一意見を言う、というような意味です。たとえば"私も2歳の頃同じようなことで叱られたけど、その時その瞬間はわからなくても今は感謝しています"など)
親御さんには、「私たちの宝をうみ育ててくれてありがとう、ここでは少しくらいのことがあっても安心していてください、どうせ大丈夫なのですから。」ということを伝えたくて、そういう空気を作ることを心がけていました。
もちろん教育の場ではあるので、一旦やるべきことはやるのが目標ではありました。
その瞬間は慣れなくても、突然花が開くように前進する瞬間があるのはわかっていたから。その姿に立ち会えるたび「私も頑張ろう」と勇気をもらっていました。
いろんな時間を一緒にすごして、限られた時間でたくさんのことに対応しながら優しさを交換する親御様の姿にもたくさん力をわけていただきました。
おとなもこどももみんな人間。
強いところもそうでないところもある。
感動を通して、生きるのが楽しいと思える社会をつくるお手伝いをしたい。
これが私が音楽をする理由だなと、このクラスを通して何度も再確認してきました。
少しでもこの目的に近づけるよう、今後も精進。
今までは弾丸短期帰省だったので、日本での演奏の機会はもてませんでしたが、日本でもまた、帰省の際にはそういう活動を再開していければ幸いです。
本日のBGM
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