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私の周りの名言シリーズ7:しんけんにあそぶ

「こんなの遊びみたいなものだよ」

と嬉しそうに自分の仕事の話をする人たちを前に、心底うらやましいとおもったことが何回かあって

こんなに楽しそうで、結果も残していてすごいなぁと言うのを幾度となく感じてきました。

最近言われたのは先月末。

会わない間も日々をそれなりに楽しみ、そして一生懸命働いていたようでした。

そういうことも「真剣に遊んでいる」といえるのかもしれないなと感じながら

その取り組み方にキラキラしたものを感じずにはいられませんでした。



自分もそうできるかもしれない


そんな気持ちがありながら心は「私もがんばろう」にシフトしていました。

レッスンで今後の要になりそうな新しいことに取り組み始めたと言うのもありワクワク。

気合いのようなものも入っていたのかなとおもうのですがなんだか空回りをし…

「やろうとしている度合いと動きの要領がまるっきり伴わない…!」

と悔しさと焦りと向き合っている時の先生からのことばが今回いただいた名言です。


「ねぇ、今日はなんとなく前回よりお顔が緊張していると思ったの。

新しいことだから真面目にやろうとする気持ちはわかるけれど

あなた、まだ若いのよ。だから焦らないでもっとあそんで。

こどもって真剣に遊ぶじゃない?真剣だけど、遊んでるの。

あんな感じがかえって効率いいのよ。」


ああ、だから今日はお庭のお花を見せてほぐしてくださったのかな?と言う気持ちや

効率がいいならばとお言葉に甘えたい気持ちと

それならできるかもしれないなぁと言う気持ちがあふれて気合いという名の肩の力がスッと抜けてから

なんだか私もの調子もいい方向に♪

「やっぱりそうなんだなぁ」

と嬉しくなりました。


先入観を捨てる


一応捕捉すると真剣に遊んでいる人が無責任ということは決してなくて、またそんなところが素敵だなとおもうのだけれど

すべてのことがこれにあてはまるかはわからないけれど、少なくとも自分にとってはこのスタイルがすごくあっているなと感じながらおもうのは

きっと無意識の中に先入観があったんだろうなということです。


不思議な感覚だけれど、改善した瞬間

これができなかったのは全く新しいものだと捉えていなかったからだ、新しいことをしているはずなのに先入観があったのだ。

と気づいたのです。


ニュートラルに探検探求したい


「あそびだから」と楽しそうに、でも集中する人の姿が昔から好きで、そうなりたいなぁと思っていました。

何かをする時だけではなくて

お話するときも伝えるときも聞くときも

目の前の相手に対してまっさらな状態で言葉が多すぎも少なすぎもなくちょうどいい感じ。



"そのほうが効率がいい"

という言葉も手伝ってくれて、

しばらくこの真剣に遊ぶ感覚に頼って良いのだとおもうとなんだかにやける。。

この嬉しい気持ちが長く続きますように…♪


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