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「私には何もない」という呪縛

以前書いた記事で紹介した女の子がこんな記事を投下した。

これを読んで「あーめっちゃわかるわー」という小学生みたいな感想を抱いたが、私がいずれ書こうと思っていたことと少しリンクしていると思ったので急遽この記事を書くことにした。
本当はもっと後に出そうと思ってた話題なんだけどね。衝動性も私の個性だし別にいいでしょ。

染み付いて消えない劣等感

私は機能不全家庭で育った。不幸自慢とかそういったものではなく、ただの事実だ。
「普通の家庭」というものを一切知らずに育ったため、「みんなこんな感じなのだろう」と幼いながらに不条理を受け入れて生きていた。
しかし、学校に行くようになり、友達というものができて様々な人と交流するうちに、「自分の家は普通じゃないんだ」と思うようになっていった。

初めて友達の家に遊びに行った時、温かいご飯を家族で囲んで食べて会話をしている光景に衝撃を覚えた。
我が家では家族間のまともな会話など無かった。食べるのが遅い私は、母親からの「早く食べてくれないと食器が洗えないよ」という叱責も相まって食事をとることそのものに恐怖じみた感情さえ抱いていた。
それが、どうしたことだろう。友達の家では家族で食卓を囲んで今日あった出来事など他愛もない会話で盛り上がっている。テレビを見て一緒に笑っている。
そこに紛れて食事をとった私は、「迷惑をかけないように早く食べなきゃ」と口いっぱいにロールキャベツを頬張り、大いにむせた。
「やってしまった!」と焦る私を見て友達の母が「そんなに急がなくても冷めないからゆっくり食べな」と笑っていた。

あの時の感情はどう言い表せばいいのかわからない。
嬉しかった、楽しかった、でもそれと同時に「どうしてうちはこうじゃないんだろう」というもやもやしたどす黒い感情が胸の中で渦巻いていた。

勿論多少あの頃より年を取った今なら、家庭の形なんて本当に様々だし、「普通の家庭」なんてそんなにあるもんじゃないことを知っている。
しかし当時の私にはそんなことを理解できる頭も経験も無かった。周りを知れば知るほど、自分の家庭と他の家庭を比較し落ち込むようになっていった。

呪詛の様な母親の言葉

「あなたは他人より劣っているから、人一倍努力しなさい。そうすれば人並みになれる」
これは幼い頃母親に言われ続けた言葉だ。
この言葉は、きっと娘への心配と愛情から出る彼女なりのアドバイスだったのだろう。少し大人になった今ならわからなくはない。
それでも、その言葉は呪詛のように私の心にこびりつき、今でも消えない劣等感の生産工場となっている。

子育てって本当に難しいんだね。かつてメンタルクリニックの受診についてきた母親が帰り際「ごめんね、お母さんのせいだね」と泣いていたが、「そうだよ」とも「そんなことないよ」とも言えず「私が悪いだけだよ」としか言えなかったことをよく覚えている。

大人同士だって言葉の使い方次第で簡単に誤解が生まれてしまうんだ。子供相手ならなおさら言葉を選ぶことは難しくなるのだろう。
子育ても結婚もしてないからまだよくわからないけどな。

旺盛な好奇心と器用貧乏

冒頭で触れた不眠ちゃんの記事から引用を少し。

気にしすぎ、
そんな特別すごい人なんていないよ、
周りの人はみんなそう言うけど
別に一番でなくてもいいんだ。運動ができるとか、ピアノが弾けるとか、偏差値が高いとか
なんかそういう、そういう手に職みたいな?手に職じゃないけどそういうさ、人に誇れる、特技ですって言えることがなんにもないから。

私は何も持っていない

彼女の「私は何も持っていない」という言葉にとても共感した。

私は器用貧乏タイプだ。何をやってもそれなりにできるようになる。しかし好奇心が強すぎるが故に一つのことを極められない。
これといって尖った何かを持っていないのだ。
だから履歴書の特技欄を目の前にした時とてつもない羞恥心に襲われた。
私は何一つやり遂げたと誇れることが無い。これといった特技なんて何一つ無いんだ。
それなりにできることは沢山あるはずなのに、前述の染み付いて消えない劣等感故に「もっとできる人はたくさんいる」「私なんてそんな誇れる程じゃない」と考えてしまうのだ。

この特性にひどく苦しんだ。自分という存在を形作る強い何かが無いという思考は私の心を蝕んでいった。

マルチ・ポテンシャライトという救いの言葉

5年ほど前のものとなるが、TEDのトークで「天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?」という動画をみつけた。

ある分野に興味を惹きつけられ そこに飛び込み 夢中になって ある程度まで上手くなるのですが どこか途中で飽きてしまうのです 
やり通そうとするのですが せっかく時間とエネルギーを費やし 時にはお金もつぎ込んでいますから 
結局 飽きがきて もうできた チャレンジする程の事でもない という思いがつのって 放り出す羽目になるのです
また他の事に興味を持ち それも全く無関係の分野に 飛び込んで 夢中になって 「見つけた これだ」と感じると
また ある時点で飽きが来て 結局それを放り出す事になるのです でもまた 全く新しい事を見つけて それに飛び込んでいきます

このトークを聞いた私は、目から鱗が落ちるとはこういうことかと感じた。

興味を持ったらすぐ熱中する。熱中するからそれなりにできるようになる。それなりにできるようになった途端、その対象が急に色褪せたものとなる。
一つのことを極められない中途半端な自分のことを言っている、まさにそう思った。

このトークではこのような特性を持った人物をマルチ・ポテンシャライトと呼んだ。
動画内で本人も述べているが、名前はどうだっていい。とにかく大切なのは「一つを極めることだけが素晴らしいこととは限らない」と伝えてくれた。

内に秘めた情熱を大切にし 好奇心を追って いくつもの穴に入り込み その好奇心の交差点を追求してください
内に秘める情熱を大切にすることが 幸せな本物の人生につながります
もっと大切なのは マルチ・ポテンシャライトの皆さん 世界が私たちを必要としています

この動画で紹介されている人達ほど私は優れていない。それでも、「一つを極めなくてもいい」という考え方は自分を強く勇気づけてくれた。
器用貧乏で悩んでいる人は是非この動画を見てほしい。きっと心が軽くなるはずだ。

劣等感が強いのも個性

劣等感が強い故に自分を肯定できない。これはこびりついた性根だから仕方がないと私は思っている。
今はこんな風に達観しているように見えるが、こうなるまでにはとても時間がかかったし苦労もした。
しかし私はこんな自分でいいやと思っている。これも私の個性の一つだ。

もしこの記事を読んでいる人の中で、劣等感で苦しみ続けていて、それでこの世から出て行ってしまう勢いで悩んでいるのなら、ちゃんとした病院でカウンセリングを受けるといい。
劣等感なんて大して良い個性じゃないしな。私はこれを受け入れる選択をしたが、正直これは茨の道だ。

つらいなら誰かを頼るといい。カウンセリングなんて他の人からしたら大したことない内容で行く人も多いらしい(本人は本気で悩んでいるので大したことあるんだが)
何なら私にぶちまけてくれてもいい。ろくなことは言えないし、私にもキャパはあるけど、誰かに話を聞いてもらうだけで楽になることもある。

「なんか色々やってる」ことが特技でもいいのかもしれない

タイトルに戻るが、「私には何もない」という呪縛は自分自身がかけたものだ。
これまでの人生で呪縛の理由にしたいことは沢山あるが、実際にかけたのは紛れもない私自身なのだ。

私はこの呪縛を解くために特技というものを諦めた。色んなことをそれなりにできるけど、劣等感が強すぎて何一つ誇れるものがない。

だが、私のように「色んなことをそれなりにできる人」が世の中には私以外にも存在していて、しかも世界はそれを必要としているらしい。
だから私は「(特に誇れるものは無いけど)なんか色々やってる」ことを私の特技と呼ぶことにした。

特定の技じゃないから特技でも何でもないんだけどな。


以上が中途半端を極めた劣等感の極み人間である私が、それでも生きていくために編み出した思考だ。
劣等感で苦しんでいる人、何か一つを極められないことに嘆いている人達の生きるヒントに1ミリでもなれたなら幸いである。

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