Vol.3 誰にも理解されないもどかしさ-摂食障害
誰にも話すことができなかった思春期
都内女子校に通う中学二年生。
大都心にあることも影響し、少し背伸びした女子が多かったのかもしれない。
周囲でもダイエットや美容の話が飛び交っていた。
「ASAMIは痩せてていいな~(痩せすぎだけど)」と言われる中、
誰よりも痩せていた私が心の中では「痩せたい」と叫んでいる。
摂食障害で心療内科に通っている現実は誰にも話せなかった。
話したところで理解されないだろうと自分で心を閉ざしていった。
その頃、友人と繁華街に行けば芸能事務所などからスカウトされるようになった。
残酷な大人たちは数名で遊んでいても、ピンポイントで声をかけてくる。
友人の存在を無視するように、私だけに名刺を渡し「かわいいですね。モデルとか興味はないですか!?」
背中を押してくれる友人もいたが、大半は気分を害していた。
そんな大人たちの対応もあり、ますます友人に話せなくなっていった。
話せる人がいてくれたら…
当時、心の内を話せる人がいたら、状況は変わっていたのかもしれない。
思春期の中、友人には話せない、親にも話せない。
心療内科の先生には、「何で知らないおじさんに話さなきゃいけないの…。」そんな気持ちだった。
今となっては、知らないから話せるんじゃん!と思えるが、14歳の私にはその気持ちは持てなかった。
そして、“カウンセリングに通うこと=恥じること”のような印象を植え付けられていた気もする。
今、海外ドラマを見ていると反抗期の少年少女がセラピーに通ったり、
「セラピーに行ってきなさい」と日常的に言われていたり、そんなシーンを見ることがよくある。
海外では夫婦間の問題や思春期の問題など、自分で解決することが難しい心の葛藤を第三者に入ってもらうことで、心の重圧を軽くするようなことがライフスタイルに組み込まれている印象だが、日本ではまだそういった印象を受けることが少なく、14歳の私には皆無だった。
外見的にはモデルを推奨されるような華があったのかもしれないが、
中身はボロボロの栄養失調状態で心の闇に蝕まれている。
健康とはかけ離れた自分。
健康とは!?なんて意識したこともなく、ただただ体重に縛られていた。
誰もわかってくれないと闇をどんどん深めていった。
処方された薬を大量摂取
心療内科では身体の栄養や不具合を解消してくれるような薬をいくつか処方してくれた。
栄養補助であったり、食事をしないことで便秘になってしまうこと避けるような薬だったはずだが、詳しくは覚えていない。
ある日、こんな自分が嫌になり処方された薬を2週間分ぐらい一気に飲んだことがあった。
死んでもいいや…そんな気持ちだったのかもしれない。
しかし、一切変化しなかった。
今思うとプラセボ薬だったんだろうなという気持ちだが、その時私の病気は薬では治すことができないと悟った。
摂食障害は心の病気なんだ。
心の病気を治すのは自分の強さだけ、自分でなんとかしないといけないんだ!そう思うようになり、食事を摂り始めた。
そこからまた、恐怖との闘いが始まった。
Vol.4に続く→→→
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