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個人的noteの続け方 〜始めるよりも続けるほうが難しいから〜

だれもが創作をはじめ、続けられるようにする

おそらく、noteでコンテンツを発信したことのある人なら、一度は目にしたことのある文言じゃないだろうか。

これが、noteのミッション

とても、初心者に寄り添ってくれるように感じるよね。
けれども、実際にnoteでの発信を続けてみるとわかる。

創作を始めることよりも
続けるほうが難しいということに。

noteを書いてる人たちも、どんどん様変わりしてきた。

みんないなくなっていく、続けられなくなっていく。
事情とか都合とか体調とかいろいろ理由はあるだろうけど、結果として創作を続けられなくなる。

いくら月間ユーザー数が増えたとて、真の意味で「創作し続ける」を体現しているクリエイターは、そんなに多くないんじゃないかな。

企業アカウントが参入して随分経つけれど、ずっと発信を続けているアカウントって、どれくらいあるんだろうね。
予算が削られそうになったり、人員削減されたりしても、続けようとしている企業ってどれだけある?

cakes(note社が運営していた有料メディア)だって、なくなったしね。

正直いって、ほぼゼロなんじゃないかな。
個人にせよ企業にしろ、続けることってほんと難しいのよ。

今回は、この創作を続けることがテーマ
しかも、お金を稼ぐという目的ではないVer.

そりゃ、作家さんやライターさん、いわゆるお仕事としてnoteを書いてる人は別よ〜
創作の事情が違うもの。
稼いで、家賃払って光熱費払って、自分や家族を食わせないといけない。わたしだって、手取りで月20万入ってくるなら毎日書くわよ。

それ以外で、創作を続けることについて考えてみたよって話をする。

このテーマについて2015年からnoteを書いてるわたしが語っても、まぁバチは当たらんだろうということで。

わたしの中でのnote理論をここにまとめておきます。

あ!あさみさんだって稼いでるじゃん!!というお声があるかもしれないけど、ほんと寸志よ、寸志。家賃を払えるレベルじゃない。

繰り返すけど、今回のnoteは創作を始めることがテーマじゃないからね。
創作を始めた人が、続けられるようにするためのものだから

これから始めたい人、始めようと思ってる人は、こういうnoteを先に読んだほうがいいね。

続けるかは決めるのは、始めたあとで十分よ。

では!


自分の中で発信のコンセプトを決めよう
(推し、趣味、活動、対象、世界観など)

まずは、これ。
でもさ、これが一番難しいね〜

たださ、これが決まってないと「何を書けばいいかわからない」現象に陥りやすいんだよね。
結果、続かない。

コンセプトは、生涯研究テーマと言い換えてもいいかもしれない。
ついついやってしまうことだったり
かけた努力の割にみんなが喜んでくれることだったり。

KPOPアイドルだって、それぞれのグループにコンセプトがあるからね。
素人の我々が発信を続けるには、あったほうがいいに決まってるよね。

スープ作家の有賀さんは、スープをはじめ料理のこと、生活のこと
しいたけ占いのしいたけさんは、占いをはじめ生活に根ざした自己啓発的なこと

なんとなく、みんなもそれぞれのクリエイターから受け取るコンセプトが決まってるじゃない?

有賀さんは、パレスチナ問題に対する意見を述べるnoteなんて書かないし、
しいたけさんだって日経平均株価が〜ってことは書かない。

おそらく、おふたりともそれぞれ意見はお持ちだろうけど、書かない。
ちゃんと、ご自身の中で書く分野とそうでない分野を分けているのよ。

おふたりと比べるのは恐れ多いけど、わたしもそう。
いろんなことに興味はあれど、noteで発信する内容はこれでも相当絞ってる。

ナースって名前がつくから、やっぱり医療看護的な内容や、患者さんとのエピソード、医療倫理や哲学っぽいもののコンテンツの反応がやっぱいいよね。

それ以外のことも書くけど、そういうのは書きたいから書いてるだけかな。反応とか読者とか、わりと置き去りにしてる。
だって趣味だし。自己満足が最優先。仕事じゃないもん。

あとは、ナース部分よりもあさみ部分を好きな人のために&わたし自身もコンテンツ未満のことを発信する場がほしくてメンバーシップという場を設計したので、万人に届かなくていいこと、届けたくないことはこっちに書いてる。

メンバーシップもよろしくね(宣伝)

というわけで、続けるにはがんばらなくても&気合いをいれなくても、発信し続けられる分野をセレクトすることが大事という話でした。

というわけで、スキル的な話にうつるよ〜

好きなことへの解像度をあげてこう

好きを分解して、説明上手になろうぜ!って話ね。

たとえば、わたしは名探偵コナンという作品が大好きなんだけど

(4月12日から映画公開するから、みんなよろしくね!)

自分だけで楽しむ分には、別に解像度なんてあげなくていいのよ。好きって気持ちだけでいい。

なんだけど

それを人に伝えるには、なぜ好きか、どこが好きか、誰が好きか、どういう展開にワクワクするのかを説明できる状態になってないとダメよね。
じゃないと、わたしの好きが伝わらない。

何をとは言わないけれど、布教とか勧誘とか営業とかしている人は、こういうの得意そう。
伝えることで相手を動かすには、自分の中で情報を細分化し、カテゴライズしておくこと。たくさん貯めておくと、尚よし。


時間、心に余裕をもとう

どんなに書くのがうまくても、書く時間や体力、思考&精神の余白がないと、文章は書けない。

書けたとしても、余裕が無いときに書いたなってすぐにバレる。
読者はバカじゃない。

創作を続けたいなら、そのための時間をとること。
元気な状態を保つこと。疲れたら、休むこと。

書く時間があったら書こうだと、ずっと書けないままだよ。


問いをたてるクセをもとう

なぜ?どうして?の視点を、常に持ち続けようねって話。

たとえば、先日わたしは長編すぎるnoteを書いたんだけど

この内容でわたしのフォロワーだったら、そこそこ読んでくれるのでは?という仮説をたてて、そこから書いたんだよね。
もちろん、理由は他にもあるけれど。

ただ、思ったよりも読まれてないので、こうして別のnoteで取り上げることで、認知をあげようとしているよ!!

わたしの中では。あと10倍スキがつかないとおかしいと思っているからさ。

問いをたてることができると、自ずと考えるようになるんだよね。
それは、ググって調べてコピペしておくとかじゃなくて
前の読んだWeb記事とあの本が実は似たようなことを論じてる、とかね。

わたしの最近の出来事だと、災害ユートピアという本

災害大国ニッポンこそ、この領域のベストフィールドだと思うんだけど、実際の現場にジャーナリズム精神をもって飛び込んでいける人がいろんな意味で少ないと思うんだよね。

取材する前にまずは援助だろ!というノイジーマイノリティがわいてくるのが目に見える。実際、書いてるのはアメリカ出身のレベッカ・ソルニットさん。

なんだけど、ここ最近、わたしの読んだ日本の著作物に災害ユートピアが参考文献、引用文献として用いられてることが多くて。求められていたけど、日本で書いてくれる人が居なかったからなのかな、なんて感じたよ。ケアとか対話とか中動態の本に載ってたね。

能登半島地震でも災害ユートピアが発生していたはずなので、それを取材したり研究してくれたりしているる人がいることを願うばかり。

メモろう

スマホでも手帳でもメモでもレシートの裏でもいいから、メモろう。

アイディアやコピーは、すぐどっかいっちゃう。
だから、真空パックしとくの。

だいたい、わたしたちの記憶力なんて、大したことないわけ。Google開いた瞬間に何を調べるはずだったか忘れてるし、職場の倉庫に入った瞬間、何を取りにきたか忘れてるもんね。

だったら

外付けHDDを多用してこうぜって話。どこでもいいから、まずは自分の外に言葉として出しておく。この書く手間がもったいないという人は、頭の中の容量がAI並なんでしょうね。わたしの看護の仕事の記録、ぜひ1日分お願いしたいわ。


ここから先がやっと「書く」だよ。
書く準備、こうやって見直してみると結構あるよね。

要素と構成を考えよう

書きたいかもというテーマや内容がある程度決まったら、要素と構成を考えるよ。
本文はまだ書かない!もうちょっと煮詰めてから。

ディズニーランドを建設しよう!ってなったときに、いきなり門から作る人はいないわけ。まずは、設計図でしょ?

漫画家さんも、最初に絵コンテを描く。

旅行にいくときだってそう。
まずは、目的地。
その後、移動手段とホテルでしょ?
やりたいことやアクティビティは、その次に決めることじゃない?

という感じで、文章にもそれを当てはめていくよ。

テーマがあって
小見出し的なものがあって
いれたいコピーや文章があって
載せたい資料やリンクがあって

この通りじゃなくて、全然いい
この瞬間にあったことを書き残しておきたい!という純粋な思いだけでもいい。

まずは、自分の中で書きたい「要素」を飽和させる。
料理でいうと、材料と調味料と調理器具を全部テーブルの上にのせ終わるイメージね。冷蔵庫や棚にしまっておかない、全部出す。

それが終わったら、順番を考える。
ここからは、料理の手順だよ。

カレーを作るときさ、いきなりルーを溶かしちゃう人はいないと思うわけ。
まずは、野菜を切って、お肉を切って、市販のルーを準備して、やっとフライパンを火にかける、じゃない?
これが、構成。

自分が作りやすいように
相手がおいしく感じるように

と同じイメージで

自分が書きやすいように
相手が読みやすいように

文章の道筋をたてていくよ。
こうきて、こうきたら、こうやって進む。

ポイントがあるとしたら、自分も相手も迷子にさせないような道筋にすること。
ちゃんと、目的地まで運べるようなルートを考えるのが、書き終わるために必要なことだと思うの。

ここまでのプロセス、めちゃくちゃめんどくさいと思うんだけど、書き慣れていない人にこそ必要だと思うんだよね。

スープ作家の有賀さんがいう「あり合わせでスープ作りました」と
自炊未経験の高校生がいう「あり合わせでスープ作りました」とでは

だいぶ意味が違ってくるでしょ?

まだ、ミネストローネですとかかぼちゃのポタージュですって言ってくれたほうが、高校生のスープがどんなかたちで出てくるかわからなかったしても、まだ最終形態がわかりやすいような気がしない?

これを文章を書くときもやろうねって話。


ここまでできたら、やっと本文を書くよ。

本文を書く→わかりやすくしよう

まずは、ダーッと本文を書く。
とりあえずの誤字とか、わたしは気にしないタイプ。
どうせ、何回も読み直すことになるから、別にいいのよ。

今だと音声入力もあるから便利よね。

わたしはnoteを書くとき、これを使うことが多いかな。

で、書き終わったら、読者にわかりやすくするというプロセスをいれてる。

・太字にする
・行間を整える
・目次(h1とかh2とかね)
・段落
・リンク
・写真
・脚注と引用
・専門用語に注釈をいれる

こんな感じかな。
プロはこれ以外にもなんかいろいろあるでしょうが、うちらはアマチュアだからいいのよ。


どうせ書くなら、10年後も読まれ続けるものを

わたしの場合は、構成まで考えてボツにしているものも結構ある。
ナースあさみとしてnoteでちゃんとしたコンテンツ(伝われ)を更新するときの最近の基準としては

10年後も読まれているか?

をボーダーにしている。

この前書いたこのnoteも、数年は廃れないと思って書いたよ。もし更新するような必要が出てきたら、随時更新するつもり。

ほら、本やエッセイもそうでしょ?ビジネス書だって、時流をとらえたものより理論や思考プロセスを解説したものが読まれ続けている。それは言い換えると売れ続けてるってこと。求められ続けてるってことなのよ。

今だとAIとかホットトピックなんだろうけど、どんどん進化しているから、次のバージョンが出たらもう読まれなくなっちゃうよね。永遠のいたちごっこ。

だったら、息の長いコンテンツを創作しましょうよ。
わたしも、何年も前のブログ記事を読み返しにいったりしているもの。

どうせ残すならさ、いいものを残しましょうよってこと。
いいnoteはね、未来の自分が読んでもいいなって思えるの。


PVやエンゲージメントの高いコンテンツもいいけど、ヘルシーにいくなら未来の自分に褒めてもらえるコンテンツを残しましょうよ。






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