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ごちそうさまへの10年

子どもの頃から食べることが大好き。

そのせいか、はじめて救急に運ばれた時は、いくらご飯の食べ過ぎが原因だった。

母は赤面で顔をあげられなかったらしい。
大量の消化剤を処方されて帰宅したそうだ。

娘はそのまますくすくと成長し、もっと美味しく・安く・たくさん食べたいから自分でも料理をするようになって、大人になってからは本業とは別に料理を仕事にもした。

自分で作るようになると、食材や調味料の背景や歴史も知る機会が増える。

つまり、ますます食べることに関するインプット、そして受け取れる情報量が増えてくるのだ。


その、大きなきっかけとなった出来事がある。

22歳の時に、家族でフィレンツェに行った。

フィレンツェには街の中心に大きな市場がある。
そこでは、地元の食材がところせましと並び、その場で食べられるサンドイッチやパニーニ、アペロもたくさんあった。

そんな中、ある1人の日本人女性が声をかけてきた。

肩よりちょっと長いくらいの髪の毛にパーマをあてて、頭の高い位置でキュッとポニーテールにしてる。黒縁のメガネが顔の輪郭にとてもよく合っていた。

良かったら、このバルサミコ酢、味見していきませんか?

彼女は、小さな紙コップに入ったバルサミコ酢をすすめてきた。

1口、味見をすると今まで食べたことない味わいと奥行き。すごくいいお出汁を飲んだのと同じ感覚だった。

当たり前だけど、バルサミコ酢だから酸っぱい。
酸っぱいのだけれど、まろやかで優しい。

そして独特のとろみがある。
むりやり煮詰めたようなとろみではない、もっと自然なとろみ。

甘みもすこやかで、いわゆる高級レストランの前菜にちょっとだけソース代わりにかかってる、あのバルサミコ酢だった。

当時、私が知り得たバルサミコ酢は、シャバシャバでただ酸っぱいだけのものばかり。食べると口の奥のほうがきゅーんとなって、正直あまり美味しいものだと思えなかった。

なんで、なんで…こんなにとろみがあるんですか?

20代の小娘に、そのお姉さんが諭すように話してくれた。

日本だとまだまだ安いものが多いのね、きっと。レストランで出されてるものも、煮詰めたり、砂糖を加えたりしてわざと濃縮させてる。これはね、毎年毎年人の手で樽を変えて濃縮させてるの。 本来はこういう作り方なんだけど、早く美味しく入手したい人がいるから、ああいう製品が生まれてしまうのよね。

だから、ここまでのとろみがつくまでに10年はかかる。
しかも、たくさん作ることは出来ない。
だから、日本で販売することも出来ないの。

もう、ここまで話を聞いて買うことは決めていた。

ひと瓶で2500円くらい。
たぶん、お酢に払う金額としては高いと思う人が多いだろうけど、私は決して高いとは思わなかった。

そして、買ってからも変化を味わって食べてみて。
どんどん味が熟成してくるのよ。

と、お姉さん。

私がひと瓶、家族もひと瓶買い、ほくほくしながら帰国した。


そのバルサミコ酢は家族の中で、特別な時にしか使わないご馳走の象徴になった。

ほんの少しお肉やお野菜につけるだけで、料理のレベルが3段くらい跳ね上がる。そして必ず、フィレンツェでの市場の話、お姉さんの接客の話になって、あの時買って良かったね、ほんとうに美味しいねでいつも落ち着く。


そんな、大事に大事に食べてきたバルサミコ酢。
この前ついに食べ終わってしまった。

最後は、トマトとモッツァレラチーズにかけて食べた。バルサミコ酢に負けないように、ちょっといいトマトとチーズ屋さんで売っているモッツァレラチーズにした。正解だった。

空っぽになった空き瓶をみると、底のほうへ向かって色が濃くなっている。長年かけてごちそうさまへ向かっていったさまが、そのまま瓶にもあらわれていた。


今は、あの時、バルサミコ酢に2500円払った私、えらいぞ!と思いながら、その空き瓶を眺めている。

10年かけて食べたから、1年で250円。
なんてコスパのいい贅沢だったんだろう。

そして、食材や調味料の背景を知り、味わうという学びも得ることができた。

・美味しいものには理由があること
・自然に逆らうと無理が出ること
・時間をかけることが一番の贅沢であること
・体験にお金を払うこと
・変化は楽しむこと

その辺りのビジネス書よりも、よっぽど有益だったように思う。こんなnoteも書けているしね。


当時はなかなか言葉にすることができなかったけれど、私はあのお姉さんが羨ましかった。

きっと、それは、私もモノや人の背景や文脈をしっかり伝えられる人になりたかったから。

今、そうなれているかはわからないけれど、伝える努力は今もし続けているつもり。書くことを習慣にするようになってから、なおさら。

もっと、相手が受け取るであろう情報や知識の量と質をあげたい。ナースあさみというフィルターを通すことでいい状態に、洗練されたものにしたい。

そのためには、やはり、自分自身が情報量や文脈を受け止めきれるだけの技量と器がないと話にならない。目の荒いザルのように、フィルターを通しても意味がないような存在にはなりたくない。

毎日のインプットとアウトプットが、そのまま私のフィルターに繋がっている。
もっと回していかないと、あのお姉さんみたいにはなれない。



そうだ。バルサミコ酢がなくなってしまったから、そろそろまたフィレンツェにいかなくちゃ。

また、ひと瓶、買ってくるんだ。

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