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採血の針が教えてくれたこと

ケチな先輩がいた。
いや、コスト意識の高い先輩といったほうがいいだろうか。

こんなにガーゼいらない!
このサイズの傷なら2枚4つ折りで十分でしょ。

とか

どうして2ccの薬液を吸うのに、5ccの注射器を使うの?
2.5ccの注射器で吸えるでしょう?

とか

エンゼルケアのコスト、ちゃんととった?
エンゼルケアは保険適応外の処置。
病院の純利益になるんだから。

といった具合だった。

新人でこの先輩と出会ったとき
正直、すぐに好きにはなれなかった。

当時のわたしは、人を助ける医療という分野にコスト意識なんて必要ないと思っていたから、なおさら。

患者を助けるのにお金のことをもち出すなんて、無粋だと。


でも、この考え方はどんどん崩れていくことになる。

その極めつけが、東日本大震災だった。

当時私は災害拠点病院、いわゆる大病院に勤めていた。東北で行き場を失った患者が移送されてくるような、そういう病院。

急性期の外科病棟という環境から、同僚には東京DMAT(災害派遣治療チーム)のメンバーもいた。

彼女は、地震発生からわずか数週間で現地に派遣される。自分の就いた仕事の過酷さを痛感した出来事だった。

その人が抜けたシフトを、スタッフ全員で埋める。看護師は人手不足。6連勤1休なんてシフト、しょっちゅうだった。消える有給、増える体重。

最初に挙げたケチな先輩もなぜかボランティア団体に登録しており、DMAT先輩に続いて他の現場に派遣されることになった。

ケチ先輩、特に管理職や専門性を磨くわけでもなく、気がついたら勤続15年超えてたというベテラン選手。

日々の目標 早く帰ること
嫌いな言葉 残業
ボーナスの使い道 フェスと海外旅行
興味のある看護分野 特になし

控えめにいって、憧れるような存在じゃなかった。

けれども、災害ボランティアから帰ってきたケチ先輩の一言でガラリと印象が変わる。


いや~疲れた疲れた!
やっぱり、病院が1番ね!!

わたしがボランティアに行く理由?う~ん…特に意味はないんだよね、よく聞かれるんだけど、そういうキャラでもないじゃん?わたし?

強いていえば、海外旅行でいわゆる後進国にもいってサバイブ力を鍛えていたから、災害ボランティアも余裕だろうと思っていたんだけど、全然違った。完全に舐めてた。わたし、なにもできなかったの。人としても看護師としても、本当になにもできなかった。それが悔しくてね。以来、シフトとタイミングがあえば必ずボランティアにいくようにしてる。もちろん、選考に外れることもあるし、条件もあったりするからから絶対ではないんだけど。私たちボランティアは、どんなに悲惨な災害が起こってもそこから離れることができる。別に日常があるからね。でも、被災者はあの中を日常として生きていくしかない。非常の中で日常を見つけていくしかないのよ。

尊敬するところを見つけた瞬間だった。

以後、ケチ先輩とは6年一緒に働いた。これ以外にも尊敬できるところは多々あったし、彼女から教わったことは他にもある。

その中でも、いまだに、わたしが実践し続けてること

それは、採血。
採血の針のチョイスだ。

ここでちょっとだけ、採血とコストの関係について解説させてほしい。

下の写真にもある通り、採血の針には大きく2種類ある。(ここでは静脈血採血の解説をします)

画像1

上にあるのが5ccの注射器

左側が翼状針(よくじょうしん)、1つ100円
右側が直針(ちょくしん)、1つ10円だ。

ケチ先輩と働いていた時も、今の病院でも翼状針で採血することが多い。

理由は

・血管に刺した瞬間、黒い羽根のような部分まで血液が逆流してくるのが見えるので、「失敗」が少ない
・羽根を押さえられるので固定しやすい。認知症などで暴れる患者を採血する時はこれ一択
・針刺し防止機能がついてるので、針刺し事故を起こしにくい
・針を刺す感覚が手に伝わりやすい(個人的主観)

要は、直針よりも失敗しにくく安全なのだ。高いだけある。
よっぽど経営難の医療機関じゃなければ、翼状針で採血するのが一般的だと思う。

医療従事者じゃない人は、なかなかイメージが難しいと思うので、直針の使い勝手の悪さも説明させてほしい。

まず、直針は刺しにくい。
針と注射器を合体させて使うのだが、人の血管の太さ、柔らかさ、角度に柔軟に対応するにはサイズが大きすぎる。

その点、翼状針のほうが使い勝手がいい。手のひらの中におさまるサイズなので、いろいろと角度やベクトルを調整できる。

そして、血管に入ったかどうかの確認が困難だ。ルートの中に血液が戻ってきてしまうことを逆血(ぎゃっけつ)なんて言ったりもするけれど、翼状針では肉眼的にそれができる。

なのに、直針ではできない。仕組み的に逆流しないからだ。どんなにベテランの看護師でも、直針で血管に刺したかどうかの感覚を手のひらで感じとるのは至難の業だと思う。結果、打率が下がってしまう。

極めつけが、針刺し事故のセーフティー機能がないこと。

患者の血管から抜いた針を誤って自分に刺してしまうのが針刺し事故。もし、この患者がB型肝炎などの感染症をもっていた場合、その人にも感染してしまう危険がある。ただ痛かった~!だけでは済まない。

安いのには、それなりの理由がある。


なんだけど、わたしは採血のある患者のうち必ずひとりは直針で採血すると決めている。もちろん、絶対失敗しないようにぷりぷりの血管をもってる患者をピックさせてもらうのだが…

それは、ケチ先輩のこんな言葉があったから。


いい?翼状針に慣れてはダメ。

たしかに、これは便利。
逆血がわかるし、針刺しだってしにくい。

でもね、わたしたちは直針でも採血出来ないとダメなの。緊急時や災害時、もしかしたら翼状針が底を尽きるかもしれない。そしたら直針で刺すしかない。どんなに脆くて細い血管でもね。さすがに認知症があって暴れるのに血管もイマイチな人にここ(病院)で直針を刺せとは言わないけれど、災害時にはそういう人にも直針を刺さなきゃいけないのよ。採血が取れなければ、適切な点滴が投与できない。薬を選択できない。助かったはずの命が助からないかもしれない。

コストの問題だってある。翼状針は直針の10倍の値段がする。もし、医療に財源が回らなくなったら…どういうことが起きるか、想像出来るわよね?

いつも出来ないことは、非常時もっとできない。だから、常日頃から練習しておかないとダメなの。新人のうちから翼状針に慣れてはダメ。ということで、〇〇さんの採血、直針で取ってきなさい。

はい…

抵抗の余地なく直針での採血を指示されたわたしだったが、それは成功した。

あの体験と教えは、今もわたしの中で息づいている。

採血がある患者のうち、必ず数人は直針で取る。稀に失敗してしまうこともあるけれど、その次も直針で刺す。じゃないと、うまくならない。

こうやって、一定のスキルを維持している。
もしもの時に使えないなら、それはスキルとは言えない。ケチ先輩の顔が浮かぶ。


限られたの資源の中で、出来る限りのパフォーマンスを発揮するのがプロの仕事。

いや、これはプロだけに限らない。

周りにあるものでめいっぱい楽しむ姿勢は、いまの私たちすべてに通じるはず。

外に多くを求めても、いずれ尽きる。だからまずは、うちにあるものをよく知ること。そして、最大限のパフォーマンスができるよう努めること。

そしたら、何が起こっても大丈夫。
すべて自分のせいにできるもの。


さて、朝は採血からスタート。
カートの中には、翼状針の中に埋もれた直針。

すべては、いつか出会う誰かのために。





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