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死ぬときの言い訳をたくさん見つけることが人生の目的なんじゃないかと思う

パンナコッタです。

うちの相方のテラコッタが以前このようなnoteを書いていました。

詳しくは見てもらったほうがいいと思うんだが、ざっくりいうと人生においてハッピーなのは毎日起きるのが楽しみな生活を獲得することで、それを実現するには、自分の楽しみなことをはっきりとさせるために色々試していきたいねっていう話。

概ね私もこの意見には賛成。

ただ、私の場合はもう少し広く人生を見てみた時にちょっと違うことを思ったりする。

よく人生の意味とかいうものを見出そうとして色々しんどくなってしまったりしている人がいる。

現時点での私の人生の意味というものは、死ぬ時に「自分の人生に悔いはない」と自分に思い込ませることができるような満足イベントをたくさん作っておくことだと思っている。

人間というものはなかなか厄介なもので、例えば側から見たらすごく悪い環境に身を置いているとしても、その当事者にとっては悪い環境ながら自分を納得させようとするような深層心理が働く。

「自分よりも不幸な人がいるからその人よりかはましだ。」
「たまには嬉しいこともあるからそんなに悪いとは思わない。」など。

その心理をうまく活用してあげればいいと思う。

死ぬ時に、自分は海外旅行もたくさん行ったし、友達にも恵まれてた。あの時自分の気持ちに従って転職もしたし、自分で起業もしてみた。
20代の頃にめちゃめちゃ好きな人には告白はできなかったけど、愛する人と結婚もできたし、子供にも恵まれた。

などなど、やり残したこととか後悔は人間完璧じゃないんだから必ず持っているものだと思う。

しかし、それ以上に自分ってこんだけ多くのことに挑戦したんだな。
こんだけ多くの人と繋がって楽しい時間を過ごせてたんだなということを死ぬ時に自分に思い込ませてあげたらいい。

それで本人が自分の人生に悔いがないのであれば、別に他の人からとやかく言われずともハッピーじゃないかと思ったりするんです。

そのためには、自分の後悔よりも行動して経験することを多くしないといけない。だからテラコッタが言っているように、たくさんのことを経験してやり切るっていうことが、人生トータルとして充実させるために必要なことなんじゃないかなって思う。

「終わり良ければ全てよし」という言葉があるように、終わりに差し掛かったときの自分を納得させてあげられるような材料を今のうちに探していきましょうよ。

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