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たぶん一番青春していた高校の部活の話

こんにちは、パンナコッタです。

たまに高校の頃のことを思い出す。

高校の頃の自分はまあその辺にいるような普通の高校生で、やることといえば部活だった硬式テニスと勉強くらい。

私の高校の硬式テニス部は、県で団体ベスト8に入るくらいの可もなく不可もないレベルだった(県自体がそんなに硬式テニスが盛んではなかったため、ベスト8でもまあ普通くらいだった)。

その中で私はいわゆる一番手(サッカーで言うとエースストライカー的な)をやらしてもらっていた、と言うのも、多くの人が高校の部活入ってから初めて硬式テニスを始めるのに対し、私は中学の時から硬式テニスを先んじてかじっていたので、まあ部内ではそれなりにうまい部類だった。

個人の成績としてはシングルスでベスト32くらい。いわゆる予選は突破して本戦と呼ばれるベスト32以上を決める試合には出れるくらいだったので、インターハイに出るとか言うレベルではなかった。

これは3年生の時の、高校で最後のシングルスの大会の話。
私はその大会の前の大会で、不甲斐ないことに予選負けしてしまっていたので、シード権を失っていた。

テニスの大会に出たことがあったり、トーナメント表を見たことがある人はわかるかもしれないが、テニスのトーナメントは、一番上と一番下の人が1番シートと2番シードといい強い人がいる。
私の高校の頃は、各ブロックごとに6から8人ほどいて、そのブロックで一番ポイントを持っている(強い)人を上シード、その次に持っている人を下シードと呼んでいた。

私は、前回の大会で負けてしまっていたので、上シードではなく下シードとして最後の大会を迎えることになっていた。

で、気になる上シードだが、これが立ちが悪かった。
いわゆる私の県で強豪校と呼ばれる高校が1つあったのだが、そこの1年生が上シードに入っていた。
2年生以上であれば前の大会などの成績からある程度その選手の強さが分かったりするのだが、1年生となると前の年はその人は中学生だったことになる。知らんねん、そんな人の強さは。

毎年その強豪校に入る1年生は県内の中学生選手のなかでまあまあえげつない人が入るようになっており、トーナメント表を見たときは最後の大会やのに運持ってへんなとわりかし自分を恨んだ記憶がある。

そして試合当日。
下シードとして1回戦、2回戦は問題なく勝ち上がった。
ただ、私のブロックが予選のトーナメント表の中でも後の方にあり、その日は時間がなくなったため、予選決勝のいくつかの試合は翌日に持ち越されることになり、私の試合も翌日開催となった。

ここでまた大会を経験したことがある人はわかるかもしれないが、ある程度試合したのちの体のコンディションと、朝一に試合するコンディションではかなり違ってくる。
やはり朝一というのは全然体が動かない。内心このまま予選の決勝したいねんけどなとまた自分の運の無さを恨んだ。

そして翌日。あの強豪校の1年生シードと対決する日がやってきた。
実は前日からその1年生の試合は見ており、ある程度の実力は分かっていた。
が、さすが強豪校の1年生ということもあり、あまりやりたくないような相手で、うまいなーと思ってみていた。

試合が始まり、体が動かない中、スコアが動いていく。
試合は私に非常に厳しい展開で進んでいった。
そこまで調子は悪くないと思っていたが、相手の方がラリーを一回返すのが多いという展開が多く、ちょっと消化不良のままスコアが2-5まで行ってしまった。

テニスというのは先に6ゲームとった方が1セット獲得ということになる。高校の試合の場合、県内の予選レベルだとこの1セットを先にとった方が勝ちとなる。

ということで、2-5の場合、後1ゲーム落としたら私の負けということになる。非常に焦っていた。

最後の大会、勝って本戦に行きたいと思っていたが、この状況を打開する策が自分の中に全くなかったことは覚えている。

そんな中、1つの転機(というか意識の変化みたいなやつ)が訪れる。
ボールを打ちながらこんなことを考えていた。

「これって最後の大会よな。」
「3年以上やってきた集大成じゃね?」
「ということは、できるだけ悔いを残さない形で試合を終わりたいなー。」
「そっか、後悔を一番残さない形で試合を終わらせればいいのか。」

テニスの試合において、試合後一番後悔するのは、攻めるべきポイントで攻めなかったり、自分のプレーをやらなかったときだ。

自分は、硬式テニスプレイヤーの中では非常に珍しくフォアハンドが苦手だった。
フォアハンドとは、自分の利き手側で打つショットのことで、多くの男性プレイヤーは聞き手一本で降る。
逆に自分の利き手側ではないほうで打つショットをバックハンドという。
利き手側で打つのでこのショットの方がバックハンドより得意なことが多い。

ただ、私の場合は、片手で打つこのフォアハンドに苦手意識を持っており、その代わり県内でも上から指折りのバックハンドを持っていると自負していた。なので、フォアハンドの球をわざわざバックハンドに回り込んで打ったりしていた。

ただ、練習では普通に打てているのだ。試合になるとやはり緊張するためか、うまくフォアハンドを打つことができなかった。
今までの試合でも、このフォアハンドを使わなかったことから自分のプレーを100%出すことができずに、後悔した試合が山ほどあった。

話を戻すと、この最後の大会で負けそうになった時、自分にとって一番後悔が残りそうなことが、このフォアハンドから逃げて試合を終えることだった。

だから私は失敗してもいいからボールがえらいところに飛んで行ってもいいから、自分なりのフォアハンドを打って試合を終ろうと決めた。

そして、8ゲーム目(2-5の時点で7ゲームが終わり次が8ゲーム目)が始まったすぐのラリーで、私は思い切り自分のフォアハンドを振り切った。
私の返したフォアハンドはクロスに飛んで行き、相手選手の右側コートに着地、その球を相手選手は返すことができなかった。

この瞬間、今まで試合中声を出さないタイプだった私が声を出した。

実は、ここからはあまり記憶がない。
僕の試合をみていた友達曰く、周りの声も聞こえてない風でプチゾーンにでも入っていたのかと思っていたそうだ。

今まで試合中に感じていた変な緊張とか全て取っ払って、自分が今できる最高のプレーをすることしか頭になかったからかもしれない。

気付いたら、6面あるテニスコートのなかで私の試合だけ行われていた。
後から聞いた話だが、シングルスの試合が全て終わったのちにダブルスの予選がその日行われる予定だったらしく、その試合会場にいる全ての選手が私と強豪校の1年生の試合を観戦していたそうな。

すごく気持ちよく試合をした。
結果、7-6のタイブレークの末、勝利。本戦に進むことができた。

テニスは6-6になるとタイブレークという方式に移行され、2本ずつサーブを交代していき、7ポイント先にとった方がそのセットを獲得することになる。

ギリギリのところで、私はその予選会を後悔残すことなく、最高の形で終わることができた。

試合が終わった瞬間は、勝った喜びというよりも、会場中の他高校の選手たちがみていることに驚いていた。次に疲労がきた。
相手選手と握手をし、持ってきていたポカリスエットの水筒などの持ち物を回収、コートを後にした。

ダブルスでペアを組んでいたチームメイトが駆け寄ってきて、祝福してくれた。うちのチームのキャプテンがおめでとうと言ってくれて、初めて自分の力を100%以上出して勝てたことに喜びがこみ上げてきた。

あれは今思い返しても人生で一番青春していた瞬間だったと思う。


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