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空には落ちることができない

 希死念慮をうまく感じられない。

 40を境に鬱が重くなり、診断を受け投薬を続けているが「自分の人生を終わらせる」という選択肢のないまま「そっちの方」へと向かっているぞと感じる時がある。結果として「そうなる」のだろうと予測はつくのだが、それがどうも具体的な「それ」と結びつかない。有名な漫画のセリフで「もしかしてまだ……自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」というのがあるが、そう言われても仕方ない態度だと思う。

 無茶をすれば死ぬ、とはわかっている。でも自分が「死にたい」と思っているというのが、どうにも飲み込めない。死ぬのは怖い、何もかもが消えてなくなる。そんな怖いことをなぜ目指すのか。自分の内面に巣食う矛盾に対して、うまく答えが出せない。

 そもそも高所恐怖症だ。死ぬこと自体がたいへん恐ろしく、落ちたら確実に死ぬようなところへ、柵もなしに行くことができない。落下に対する強い恐怖があり、車の窓から外へスマホを出して撮影するのを見るのも嫌だ。子供の頃は住んでいるマンションの非常階段から隣の家の屋根へ飛び移り、そのまた隣の家へと駆け回り、めちゃくちゃに怒られた。今思えばパルクールのようなことをしていたわけだが、忍者にでもなりたかったのだろうか。

 20歳くらいの頃、新宿で夜中まで友達と遊び、副都心の高層ビル街に忍び込み、オブジェに寝転んだ。新宿の空は街の光が雲に反射して夜でも白く明るい。空へ脚をあげて横たわると、高層ビルはもやもやした海へと飲み込まれていく柱のようで、急に恐ろしくなって脚をおろした。

 ずっと古い目覚ましのベルのような耳鳴りが鳴っている。ジリリリリリリリリリリとシャアアアアアアアアアの中間のような音で、寝ようとするとその音が大きくなって眠れない。適切な薬を飲むとその音が気にならず、眠ることができる。でもずっと音は鳴っている、うるさくて仕方ない。

 作品を作っている。誰にも言えない話を、フィクションだと言って書いている。それを大勢の役者に演じてもらい、大勢のお客さんに見てもらっている。自分の書いた脚本を演じているのを見ている間だけは、耳鳴りがやむ。死ぬのが怖くなくなる。しばらくの間だけは。

 空には落ちることができない、だからずっと空に向かって脚をあげている。

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