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栗の殻。

【小説】俳優の椎名桂子さんからの依頼で朗読用に書いた作品です。このツイートからツイキャスプレミアムでライブ全編をご購入、ご覧いただけます。

 執筆依頼のテーマは秋、ホッコリする話。noteで書いている小説を読んでいただいての依頼でしたもので、自然と恋愛のことになりました。3000文字ほどで、少し前向きになれるお話だと思います。

『栗の殻』

 栗を買った。

 近所のスーパーで栗が2キロ、2000円だった。思い返せば数年ほど、はっきりと栗を食べていない気がする。季節のものだし、せっかくだからと、私はカゴに栗の袋を詰め込み、レジへ向かった。

 仕事帰りに立ち寄って買うには、なかなかの大物。もしも、前に住んでいた部屋までの距離なら、諦めていた重さ。でも今は駅から徒歩数分、快適な一人暮らしには大胆な挑戦が似合う。

 雲の少ない青空は、やがてオレンジから紫に変わり、すぐに濃い紺色へと染まっていく。私は栗の入った袋の重心を調節しながら、アパートまでの道をのんびりと歩いた。カラカラに乾いた冷たい風が、マスクの中の湿気った空気を容赦なく奪うけれど、私は穏やかな気持ちで口元をゆるめた。

 そうだ、私は2キロの栗を抱えているんだ、丁重に扱ってもらわなきゃ困る。

 いつもはのんびり歩く私の横を邪魔そうにして通り抜ける、足早に家路を急ぐ人々や、歩道を自転車で駆け抜ける人々も、大きな袋を抱えてニヤニヤ笑っている私を見て、道を譲ってくれている気がする。

 アパートの部屋に帰り、キッチンに栗の入った袋を置く。殻付きの栗が2キロ
、黒々と輝いている。とりあえずどうするかは、シャワーを浴びてから考えよう。私はバスルームで服を脱ぎながら、栗の殻をどうやって剥くかについて、考えを巡らせた。

 子供の頃の記憶が正しければ、しっかりと茹でた栗の殻は、上下に押しつぶせば、パキッと真ん中から割れた。割れた部分に指を入れ、殻を引き裂き渋皮に包まれた実を取り出す。いい栗は渋皮もぺろりと剥けた。果たして今日買った栗がいい栗なのか、よくない栗なのか、それは茹でてみるまでわからない。

 頭にタオルを巻いて、ホカホカと湯気を立てながら私はキッチンへ向かう。

 2キロの栗はどでんとキッチンに座り、私を待っていた。まずは茹でるのか。

 私はスマホを使ってインターネットにお伺いを立て、茹で時間や水の量などを調べ、まあまあだいたいこんな感じ、という気持ちで袋の三分の一を鍋に入れた。

 栗を茹でている間に、リビングに移動してパソコンを起動し、不要なメールを削除しながら、大量の栗の使い道について考える。

 まずは食べる。次に栗ご飯の具として利用、さらに今回はペースト状にして栗クリームを作ってみよう。近所のパン屋さんで美味しそうな食パンを見つけてから、ピーナッツクリームやマーマレードのジャムなどを塗って食べて来たのが私の人生だとすれば、ここで一つ自家製の栗クリームなどを作ってみるのも良いかと思ったのだ。

 メールボックスの中に、広告や告知、入出金のお知らせではない件名のメールが届いていた。

「お久しぶりです、Aです、お元気ですか?」

 差出人は6年前にいい仲になっていた人で、私は長めのいい仲になりたかったけど、相手には相手の都合があり、私にも私の都合があったため、短めのいい仲で終わった。メールの内容は、季節の挨拶と、出版のお知らせと、あとは丁寧な文章で綴られた、私とAさんが二人で行った公園の思い出話だった。

 Aさんは、とてもいい人だった。

 初めて出会ったのは友人の紹介で、三人で待ち合わせした喫茶店の入り口で、先に入る順を譲り合ったのをおぼえている。年も近く、服の趣味もよく、清潔感があり、礼儀も正しい。私が通路側に座ろうとすると「今日は日差しが強いですから」と窓側の席を譲ってくれた。そして自分は窓からの日差しを浴びて眩しそうに目を細めるのだ。

 ああ、いい人だけど、ちょっと私向きじゃない。あんまり恋愛のときめき、といった感じはおぼえない。私はもう少し派手目で押しの強いわがままそうな人の方が好きなんだな、ということが、その時はとてもよくわかった。

 でも、友人は「話が合うはずだ」と勝手に一人で盛り上がっている。

 Aさんの部屋が、とんでもない様子なのだと言う。

 写真を見せてもらうと、よく整頓されており、床にものが散らばっている様子もない。とんでもない部屋といえば、ドアの前に段ボール箱が積み上がっているとか、部屋の奥からゴミ袋の斜面ができているとか、脱いだ服がうずたかく積み上がっているとか、そういうのを想像するものだ。

 私が拍子抜けしていると、友人はさらに何枚もの写真を見せてくれた。

 整頓された本棚が延々と続いている。何枚も、何枚も、何枚も。

「待って、お引っ越しされました?」

「や、一つの家に、今三階建てを借りていて、その本棚は階段です」

 Aさんの家は、本で埋め尽くされていた。

 それから半年、いい仲になった私とAさんは、一度も喧嘩をせず、互いの人生を尊重し、時間が合えば長い時間を共に過ごし、そしてなんとなくある日、私の方から別れを切り出した。

 出会った時と同じ喫茶店で、私が窓側、Aさんは通路側に座った。

 私が色々と理屈を並べ立て、友人関係になりたいという風のことを言うと、Aさんは少し下を向いて「そうですか」と言った。あれ、意外と悲しいのかな、まるで私が悪人みたいじゃないか。私が慌てると、Aさんはすぐに顔をあげて「じゃあ、仕方ないですね」と眩しそうな顔で微笑んだ。

 キッチンタイマーが鳴り、予定通りの茹で時間が過ぎたことを知らせる。私はキッチンでグラグラと煮えている鍋の前に立ち、湯の中で踊る栗を見ている。網にあげて水を切り、布巾の上に栗を並べる。冷める前に割らないと、殻はすっかり固くなってしまう。私は思い出にしたがって、栗を上下に潰す。

 割れない。

 栗の殻は弾力性があり、ギューっと変形しては、元の形に戻ろうとする。あまり強く潰すと中の実まで崩れそうだ。

 私は包丁のかかとを殻に当てて、割れ目の突破口を作る。果たして栗の殻はうまく割れてくれたが、すべての栗にこの工程を施すのかと思うと気が遠くなる。

 まだ、袋の中の栗たちは、3分の2が茹でられるのを待っている。

 私は自分の先送り癖が結果として何をもたらすのかを知っている。この茹でた栗を剥かずに冷凍庫に入れてしまえば、見なかったことにできる。そして茹でていない方の栗も、放置したまま悪くなり、なんとなくゴミの日にまとめて捨ててしまう。

 栗を買った時の高揚感も、茹でる前の期待感も、全てを台無しにして目の前から消してしまう。そういうのはもうやめたい、だから改めて一人になったんじゃないか。

 私は覚悟して栗の殻を剥き始める。剥き終えたら数個をそのまま食べて見て、一部を炊飯器に入れて栗ご飯、一部を砂糖と水で煮て潰して混ぜて栗クリームにする。結構な時間がかかりそうだ。

 無心に栗を剥いていると、どうでもいいことが頭をかすめていく。

 二年間、職場のBさんと不毛な恋愛をした。Bさんには配偶者がいて、私は相手の口説きにすっかり浮かれて身を預け、あーこりゃダメだと気付くまで一年、気付いてからもずるずると一年。何より私はBさんの顔と声が好きだったので、別れようと思ってもなかなかハッキリとは言えない。なんだかんだと誤魔化されて関係が続いてしまう。

 決心を決めてこちらからの連絡を断つと、なんとそれから半年、Bさんからは一切連絡が来なかった。半年後に送られて来たのも何かのお知らせで、驚いて返事を出すと、通常の業務的な返信の中に、軽い個人的なメッセージが添えられていて、それはあんなことやこんなことをした相手に送るには軽すぎる、ほんとうに当たり障りのない内容で、私とBさんの間には何にもなかったし、Bさんにとって私はどうでもよかったんだな、ということがよーくわかる出来事だった。

 栗ご飯が炊けたら、もう一度Aさんから来たメールを見てみよう。そしてちゃんと考えて返事を送ろう。もう二度と、問題を先送りにはしない。

 私は「もしかしたら」と思い、ギュッと栗を上下に潰してみる。思い出の通り、パキッと栗の殻が真ん中から割れた。

 思ったよりも早く、栗の殻を剥くのは終わりそうだ。

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