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受け容れられる音

近所にジムができたんです。
 コロナ禍の真っ最中に開業準備していて、その前を通りかかるたびに、ここ何ができるんだろうってワクワクしてたんです。看板には血沸き肉躍るようなキーワード。やる気を出させるようなイメージ。コロナ自粛が始まって、特にGW中は暇で暇で、エネルギーもあり余っていたし、YouTubeで筋トレやヨガやったりしていたので、コロナ終わるまでには痩せて、みんなをびっくりさせちゃうぞ!って意気込んでいたちょうどその時にですよ。おら、ワクワクしちゃうぞ。
 ある日、その準備中の施設の入口に、背の高くない、人好さそうな雰囲気の男性がいて、目が合ったので「もしかしてジムができるんですか?」って話しかけてみた。ご近所さんだし、愛想よくしないと。
 その人のにこやかで元気な「はい!」を聞いて、私は思わず「やった!」とガッツポーズした。家のごく近くにジムができたんです。これはもう始めるしかないでしょう?すでに家の目の前にはずっと前から別の筋トレジムがあり、その少し隣に女性向けのトレーニングジムもあるのに、まったく何も始めていないことは、すっかりなかったことにして。(環境じゃないですよ。やる気のみですよ、ホント。ジムがいくら遠くてもやる人はやるのだ。)

抗争事件勃発?

 それから10日ほど経ったある日、いつものようにリビングの大きな窓を開けて「きもちいわー」と、お茶を飲んでくつろいでいたところ、何やら外から怒鳴り声というか呻くような声と、殴るような蹴るようなドスッ、ドスッというような鈍い音が聞こえてきた。え?喧嘩?こんな昼間っから何?とベランダから外を見たのですが、そんな様子もない、人も集まっていない。え?何だろう? 少しするとおさまって、またしばらくすると、また呻く音とドスッという音。いや、これ絶対ボディ蹴ってるでしょ。。。。。抗争?リンチ?何?なんで?そんな物騒な街じゃないはず。。。。。あっ!えっ?

 ここまで来て私、やっと気がついた。

ジムってまさか。。。。
ボクシングジム。。。。
うそうそうそうそ、ジムできるって喜んでいたけど、ボクシングはちっともやりたくないし、暴力反対。こんな呻いたり殴ったり蹴ったりみたいな音を日常ずっと聞かされるなんて、無理無理無理無理、怖いわ。トラウマフラッシュバックレベルだわ。嫌ほんと無理。どうしようどうしよう、直接言う?管理会社に電話する?引っ越し?いや、この前更新したばかりで、長く住むぞーって決心したばかりじゃん?長いこと悩んでいたベランダの鳩の糞害問題も、先日めでたく解決したばかりだし、引越当初に悩んでいた階下の東南アジア系奥様の、夜中ベランダで電話で大声で話している騒音問題も、いつの間に引っ越していったのか、まったく気にならなくなった。これからは、住み慣れた部屋でハンモックに揺られて、快適に暮らしていけるぞと安心していた矢先に、なんてこと!

マンション買うか買わないか

 昔、月に1,2度ある集まりで、時々お会いしていた同年代の分譲マンション独居女性は、いつもお隣の騒音家族の愚痴を延々と話していて、その人の話を聞くたびに「私は今後絶対にマンションは買うまい」って思ったものだった。だって騒音あっても、変な人が隣に住んでても、買っちゃったら引っ越せない。でも、樹木希林さんが、年寄りのひとり暮らしになると、簡単には貸してもらえなくなるから、まだ審査が通りやすい若いうちに、不動産は買っておけっても言ってたし、それもそうだと、最近は気持ち変えつつある。どんなところでも住めばみ都と言うものだし。

 その人が毎度繰り返す愚痴はこうだ。
 隣に中国人一家が住んでいて、いつも夫婦で大喧嘩している。毎昼。毎晩。そのたびに自分ではどうしようもできなくて、どんどん鬱になっていく。言えばいいじゃん?とアドバイスしたらば、他の入居者とも相談して、何度も正式にクレームを入れたり、あらゆる対策を取ってみたが一向に変わらないそうだ。とても同情したし、早く解決してほしいと心から願っていたが、その後、暫くしてその集まりに私が行かなくなったために、その人にはもう会うこともなくなった。そう言えば、あの人どうしているだろう。近所で騒音問題が発生するたびに、私は、あの人の愚痴を思い出す。あの愚痴は嫌いじゃなかった。今もまだ、彼女はあのお隣の中国人一家の騒音に悩まされ続けているのだろうか?たぶん中国人って日本人みたいに静かには喋らない人が多いし、もしかしたら、喧嘩しているのではなくて、普通に家族団らんしていただけかもしれなくて、それでも日本人からは喧嘩しているように聞こえたりすることも多いのだけれど、いずれにしても、彼女にとっては不快な騒音だったことに違いはない。生活習慣や文化の違いってやっぱり根深い。

住めば都の風が吹く

で、目の前のボクシングジム騒音問題ですよ。
そのジムの開業前に、夜中大騒ぎの飲み会みたいな騒音もあって、マジで警察呼ぼうかと本気で考えたくらいイラついたのだけれど、その狂宴的騒音はその夜一度限りだったので、じっとこらえて乗り切った。きっと真夏になれば、さすがに暑くて窓を閉め切るだろうし、そうすれば音も聞こえないだろうし、いやでも、コロナ問題があるから、やっぱり窓開放してやるのかなとか。そのうち潰れてくれないかなとか。

そうこうしているうちに、今日も例のドスッ、ドスッというボディに効く攻撃音と、「うぉっ」という呻き声が聞こえてきた。あれーこれ、声出しているのひとりだけじゃないのかなー、いつも同じ声。などと考えながら、私はあることに気が付いた。

あれ、わたし、前よりこの音にずいぶん慣れて来てる。

そうなのだ。そんなに嫌な感じ、恐怖感みたいなのは感じなくなって、「また始まったか。早く終わんないかな。3分待てばおさまるはずよね」「この人、試合とか出たりしてんのかな」とか想像したりして、ちょっと受け入れ始めているのだ。たぶん、ただ慣れてきた。

でも、思ったの。なんで受け入れられている?

 階下の東南アジア奥様の電話騒音や、鳩害は何か月経っても、絶対に受け入れられなかったのに。あの騒音に悩まされていた彼女だって、話を聞いていた限り、何か月もずっと状況は変わらず、会うたびに同じ愚痴を毎回聞かされていたのだ。
一番大きいのは、あのいつか見かけたお店のスタッフと一言二言会話したこと。思えば、人懐こい笑顔がめちゃくちゃ好印象だった。それと、今朝、ポストにお手紙が入ってた。「今度開業したボクシングジムです。ちょっと迷惑かけるかもしれないけれど、なるべくそういうことのないように気を付けるので、今後ともよろしくお願いします。」的な。

以前、会社で苦手な女の子がいて、どうしても、どうしても、どうしても好きになれなくて、いつしかその人の着ている服から漂ってくる柔軟剤の匂いが、どうにもならないほど耐えられなくなって(もともと柔軟剤の匂いには過敏で苦手)、でも周囲に聞いても別に臭くはないって言われた。私はあの柔軟剤の匂い単体ではなくて、嫌いな彼女から漂ってくる臭いが嫌いなんだと思った。彼女の属性である柔軟剤の匂い。
鳩の糞害の時も、鳩は全くコミュニケーションなんかできなくて、追い払おうが殺虫剤かけようが何をしても、まったく構わず糞をまき散らしていたし、懐くわけでもなく、可愛げまったくない。以前悩まされていた階下の東南アジア系奥様も一度も会話したことも、すれ違うことも、挨拶することもなかった。

ああ、そうか、そういうことかも。コミュニケーションして、その人の良い部分も見えちゃうと、多少のことは許せたりするのよ。鳩だって多分、野良猫みたいに、にゃん(=^・・^=)って懐いてきたり、癒し的な要素があれば、ちょっとベランダに糞されるぐらいは許せたのかも。いや、実際はちょっとなんてレベルではない、深刻な糞害だったけど。

昔、付き合い始めた彼氏の部屋の階下がコンビニで、夜中自動ドアをお客様が出入りした時のぴんぽぴんぽぴんぽーって音が、初めての夜は酷く耳障りで、気になって気になって眠れないものだったけれど、何度も泊っているうちに、生活音として受け入れて、ほとんど気にならなくなった。コンビニいつもお世話になってたし、店員のお兄ちゃんはメタラーぽくて好印象だったし。好きな人と一緒だと騒音さえ愛せる。

心地よい音

いつしか、外から聞こえてくる騒音は、生活音として、普通にあるべき音として、今、私が住んでいる場所の個性になっていく。赤子がむずる鳴き声、サンドバッグにドスンッと入るキック音、郵便屋さんのバイクが通り過ぎる音。真夜中寝入る少し前、たまに聞こえる歓送迎会終わりのサラリーマン集団の、名残惜しくわぁわぁご機嫌に騒いでいる中の万歳三唱。この頃ではコロナで宴会もなくなったから、そんな音も聞こえなくなってた。

そう言えば、映画「100円の恋」良かったよね。自堕落でぶくぶくに太った女が通りかかったボクシングジムのボクサーに恋して、自分もボクシング始めちゃうお話。安藤サクラさんはあの役のために、めちゃくちゃ短期間でぶくぶくに太って、そこから鍛えて、ボクサーの身体になっていたのだ。あれ、もっかい見ようかな。



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