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グリーンブック

グリーンブック

2018年公開 

オススメ度 9.8/10点中


クリスマス映画は数多くあれど面白いという意味では観る価値のあるクリスマス映画は少ない。大半は家族向けのご都合主義とキリスト教の教えを全面に押し出している教育映画なのでキリスト教圏にいない我々では理解できないというより単に馴染みがないので身体に入ってき辛いところがある。

家族愛、兄弟愛、主への感謝。こういったことをクリスマスに再度見直すべきだと、映画の中で起こる奇跡の数々で教えてくれるのがクリスマス映画である。

だが我々には分からない。なぜクリスマスに奇跡が起きるのか。「クリスマスに間に合わない!」と仕切りに叫ぶ登場人物たち。我々は思う。まあ別に、大晦日までに間に合えば良いんじゃ無い?と。そう、彼らがクリスマス至上主義民族であるように我々日本人は正月至上主義民族なのだ。我々にとってクリスマスは若い恋人たちのイベントであり商戦期でありなんだか分からないけどプレゼントが貰える子どもの日なのだ。

だからザ・クリスマス映画!という作品の良さは真の意味では理解し難く、我々正月民族は消化不良を起こしてしまう。しかしクリスマスが出てきてしっかり感動できる映画も確かに存在する。

グリーンブックはもはや説明の手間を省いても問題ないくらい有名な映画だが意外と観てない人も多い。確かにアカデミー賞をとった映画イコール観たい映画という時代ではない。我々現代人には無数の選択肢がある。おまけに昨今流行りの人種差別を取り扱った映画だ。きっと観ていて重い気持ちになってしまうのだろう。今日は疲れてるし、もっとキラキラしてて分かり易い泣ける映画にしよっと。

そう思った貴方にこそ観ていただきたい。

こんなに美しい映画にはそうそうお目にかかれない。

舞台は北部での黒人差別がまだ盛んだった頃のアメリカ。主人公はニューヨークのナイトクラブでボーイの仕事をするイタリア系の男性。クラブで暴れる客をボコボコにしたり、客のマフィアっぽい男の帽子をわざと盗んで後ほどさも自分が見つけたかの様に持っていき小遣いをもらう。ほどほどに腕っぷしが強くほどほどにずる賢い。ごく平凡な男。妻と子ども、姑と近所に住む親戚たちと忙しなくも楽しく暮らしている。

ある日、とある事情でクラブの仕事が休業になり一時的に失職してしまう。そんな中彼に仕事の話が舞い込む。「ある男の運転手をしてほしい」と。面接に行くとそこは劇場。の上の階にあるお城の様な御殿。呼び出され雇い主である男性とそこで初めて邂逅する。医者と聞いていたその男は博士号をもつ天才ピアニストでありそして黒人であった。

黒人に雇われることが恥とされていた時代。黒人は犯罪者で貧しくて話が通じないとされていた時代。しかし目の前の男は違う。気品が漂い話す言葉も丁寧だ。「黒人に仕えることに抵抗は?」男は言う。しかし主人公は金が欲しい。最低限の条件を提示してこれでダメなら働かないと決めて、部屋を後にする。

結果として主人公は天才ピアニスト、ドクターシャーリーの運転手としてツアーに同行しアメリカディープサウスを周ることになる。彼が住んでいる北部でも差別は根強いのになぜより差別の激しい南部のツアーに?一片の疑問を抱えながら主人公は長い旅路に出る。クリスマスには帰るよと家族に約束して。

まずこの映画の素晴らしい点はシーンの美しさ、考え込まれた配色やアップテンポの音楽。そして軽快で明るいしゃべり口の登場人物たちによって構成されているために人種差別を取り扱った映画にしては悲壮感がほとんど感じられない点である。人種差別という我々がこれまでもこれからも戦い続けていかなければならない課題を、決して重すぎずかといって軽々しく扱うわけでもなく非常に優秀な教材として問題定義してくれる。

だからこそ人種差別に疎い我々正月民族にもゆっくりと着実にこの問題の不条理さと根深さを理解させてくれる。しかもエンタメ要素を交えながら。

これは私の個人的なエッセイなので主観を全開で言わせてもらうのなら、この映画が伝えたいことはひとつ。それは友情は人種間を超えるとか音楽は全てを解決させるとかクリスマスには奇跡が起こるとかそんな擦り倒された安っぽい商業的なテーマではない。

あえて断定的に言うなれば「人にとって豊かさがどれほど大切か」という事である。

一見するとこの映画は平凡な主人公が非凡な才能を持つ芸術家と触れ合う事で差別を見直し心を入れ替える物語のように捉えられがちである。しかし実はそうではない。どちらかと言えば非凡なのは主人公のトニーリップなのである。彼は粗野で下品なところもあるが愛嬌があって友人も多い。一見すると平凡な人間の見本の様な彼だが物語が進むにつれて我々はその感受性の豊かさを知ることになる。

道中、愛する妻から電話は高いから手紙を書いてくれと頼まれ渋々承知するトニー。誤字脱字が多い手紙に見かねたシャーリーがゴーストライターを買って出て文学的で美しい文章を妻への手紙に宛てるのだがトニーの手紙は初めからそれなりに素敵な内容のものである事がよく注視していると伺える。

「みんなの言う通り自然がきれいだ。この国がこんなに美しいと思わなかった」

本当にただの乱暴者がこんなことを手紙に書くだろうか。決して飾り気は無いが子どもの様に無垢で豊かな感性を感じさせる。

また、トニーは天才ピアニストの演奏を初めて目の当たりにした際に本当に心から感動している表情を浮かべている。その直後のシーンでは敢えて言葉にせず、後にシャーリーと打ち解けた際に初めて彼なりの言葉で賛辞を送っている。

「ショパンだとかなんだとかそんなもんは誰にだって弾ける。だがアンタのピアノはアンタにしか弾けねえ」

もちろん非凡なシャーリーはこれにもより一層非凡な言葉で応える。このやりとりは思わず見ていてニヤリとしてしまうくらい良いシーンだ。

感動は言葉にしてしまえば鮮度が落ちて安っぽくなりがちだ。それを人に伝えるには時間が必要な場合もある。トニーが心からシャーリーを敬っているからこそ自分なりに一生懸命考えて選んだ言葉は相手の心に確かに届いていた。

彼はその時代の白人の男らしく男尊女卑で黒人差別をしていた。しかしシャーリーと触れ合う事で自分の中にある差別と戦い始める。これまでの自分を丸々捨てて新しい価値観の中で生きるという事ではなく自分はあくまで自分として、その身の中にある、まるで腫瘍の様な差別意識だけを根っこから少しずつ取り除いていくのだ。簡単に出来る事では無い。これは彼が元から持ち合わせている豊かさ故に出来ることなのだ。それは人を敬い愛する心でもある。

では例によって個人的に一番好きなシーンを紹介して締め括りたいと思う。

細かく書くとネタバレになってしまうがやはり最後の場面。畳みかけるように仕掛けがなされ我々が心から望む展開がやってきたその瞬間。トニーの家族や親戚がクリスマスを祝う暖かな家にシャーリーが訪ねてくる。「ドク!」と喜んで迎え入れるトニー、若干戸惑いながらも家に入るシャーリー。彼を紹介され一瞬固まる一同。しかし次の瞬間誰かが叫ぶ「なにやってんだ!皿持って来い!席を作れよ!」その言葉を聞いたシャーリーとトニーは顔を見合わせて微笑む。ここも最高だがこの次の瞬間。奥からトニーの妻が顔を出してシャーリーに気が付く。彼女はまるで待ち焦がれた恋人にようやく会えたようにとても嬉しそうな顔をしてみせ彼の元へ歩いていく。

誰かを敬い愛するにはその人の心に豊かさが必要である。それは素晴らしい音楽と映画、大切な家族と友人との時間。そして美味しいケンタッキーフライドチキンが必要不可欠である。

私はこの映画を見てそう感じずにはいられない。













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