見出し画像

ジェームスと翔平2


前回の投稿で、ジェームス・カプレリアン投手と大谷翔平投手は、今までほとんど対戦したことがないとの内容を書きました。

ところが、何の因果か前回の対戦からすぐに同投手対戦の日が、今後はカリフォルニア北部のオークランドで行われました。そうです。ベーブ・ルースの記録に104年ぶりに並んだという報道がされたゲームでした。

私が住んでいるロサンゼルス周辺は南カリフォルニアです。一方でサンフランシスコ周辺を北カリフォルニアと呼びます。ご存知の通り、カリフォルニは縦に長く、日本の面積が約378,000 km²に対して、カリフォルニア州の面積は、約424,000 km²ですので、カリフォルニアの方が大きいのです。日本の方はアメリカの州を日本の県のように思っている方がいますが、州は国です。州ごとに法律があるし、税金も違います。アメリカは合衆国ですので、国が集まっているEUに近いです。というよりも、EUがアメリカを模して構想されたと言って良いかもしれません。

カリフォルニア州の人口は約3,500万人で、全米一位です。全米の人口は約3億人を超えて増え続けていますので、約10%がカリフォルニアに住んでいるのです。海外で居住する日本人の数が一番多いのも、断トツでロサンゼルス周辺で、その次にバンコク、ニューヨーク、上海、シンガポール、ロンドン(2019年調査)と続きます。日本人はアジアやハワイに一番多いような印象がありますが、そうではないようです。日系人が多く日本人が移民しやすい環境だったということもありますが、一年中温暖な気候と住みやすさが、新日本人と呼ばれる新しい移民者を惹きつけているのかもしれません。そうです。野茂投手がドジャーズに入団したのも、大谷選手がエンゼルスを選んだのも南カリフォルニアという場所が関係していると感じます。

ジェームスは、ラグナヒルズ市という南カリフォルニアでもオレンジカウンティの海に近い場所で生まれたのですが、その後私が住むアーバイン市の隣町のタスティンという街で育ちました。エンゼルス球場にも車で15分か20分もあれば到着できる場所です。ということもあり、子供の頃はエンゼルスファンであったに違いありません。アーバイン市に2004年に設立されたのがジェームスと息子が入学したベックマン高校ですが、なぜか隣のタスティン市のスクール・ディストリクト(学校区)であったため、違う市に居住していたにも関わらず、ジェームスと息子は同じ学校になったのでした。

前回も書きましたが、ベックマン高校のアメフト部はとても強かったので、アメフトのルールを知らなかった私さえも、アメフトの試合の面白さに魅了されてしまったのでした。アメフトで最初にぶつかるのは、大体巨大な選手です。アジア人である息子は、その後を守って後ろにいるジェームスのような足の速い選手にボールを繋いでいきます。何度も彼らの試合を見ましたが、ジェームスのプレーで一番すごかったのは、ボールを持ったジェームスがタッチダウンを狙って前に走ったのですが、そこに敵のガードが手を上げて待ち受けていました。ジェームスは全力で走っていた足をピタッと止めると、ジャンプしてくるりと一回転し、ガードをかわしました。ガードからすればジェームスが突っ込んできたのに一瞬いなくなり、自分の上をジェームスが通ったと分かったのは、彼がずいぶん前を走っていた時でした。それほどジェームスは身が軽かったのです。スポーツ万能なジェームスが、スポーツ推薦で大学に入るのは誰もが当然だと思っていたことでした。まさかベースボールでもその才能を発揮していたとは、当時は考えもしませんでした。

話をベースボールに戻します。
多くの日本の方は忘れていると思いますが、エンゼルスには、1997年から2001年までは長谷川滋利投手、2010年には松井秀喜選手、2011年12年には巨人とベイスターズで活躍した高橋尚成投手が所属していました。私もサウスコーストプラザという南カリフォルニア最大の商業施設で、長谷川さんとばったり合って、ずいぶん大きな声で話していたのを思い出します。松井選手や高橋選手とは、エンゼルスタジアムでジャパンデーというコミュニティー交流ということで会いました。狭い日本人社会ですから、日系スーパーでも高橋投手と合ったことがあります。彼の通訳である一平さんが昔バイトをしていたレストラン古都という店には、時々寿司を食べにいきます。会ったことはないですが、翔平と一平さんはよくこのレストランを使っていますから、これでもかというくらいにベタベタと翔平の事が書かれており、Ohotani丼というメニューさえあります。(高いから食べたことはない)

今回の対戦は、前回のホームゲームではなく、オークランドでのアウェイゲーム。と言っても報道にあるように翔平にとっては相性の良い球場です。調子が良いのか悪いのかよく分からない翔平にとっては、調子を取り戻せるっ球場なのかもしれません。マウンドの高さや、硬さ、球場に吹く風、左右のスタンドまでの広さは、投手にとって大きな違いになります。前回のホームでの投球は、三振が多い試合で、投球数も多くなりましたが、今回の対戦ゲームでは、三振数は少ないが、安定したピッチングになったと感じました。

一方で、ジェームスは、これまでは長い登板間隔が空いており、いつ投げるのかわからないローテーション投手から少し外れた状態でした。しかし前回の翔平に勝ったという自信もあってか、ローテションでの登板間隔になったのかもしれません。決して早いボールを投げるわけでも、変化球がすごいわけでもないのですが、いつの間にか打ち取られているというのがジェームスの投球術です。

しかしながら、今回の登板ではジェームスに良いところが見られず、エンゼルスの打線と翔平のホームランに魅了されてしまい。ジェームスは降板して負け投手になってしまいました。翔平にとっては前回の試合のお返しができたという感じかもしれません。アメリカでも翔平の記録には多くの賞賛がありましたが、少しでも、敗戦投手にも知ってもらいたいストーリーがあるのだということを伝えたくて書いてみました。もちろん、ジェームスと翔平は同い年。ついでに息子も同い年です。今後も頑張ってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?