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能登を思う

さだまさしさんの、LAでの最後のコンサートを鑑賞しました。本当に最後なのかはわかりませんが、最後だと覚悟をして一言も聞き逃さないようにさださんの声を聴いていました。満席の観客の皆さんも、同じ気持ちであったと思います。会場には、「風に立つライオン基金」で日本語奨学金基金特別賞を受賞した倉敷の高校生の皆さんも来場していました。楽しい話の中にも、能登の被災地への復興の思いを伝えてくれました。私も唄われる歌詞を噛み締めながら、能登の事を思いました。

父がまだ元気であった頃、輪島の朝市に行きたいというので、連れていくことにしました。元気だとはいえ、ずいぶん足が弱くなっていましたので車椅子を積んでいったのですが、「自分の足で歩くよ」と言う父の言葉に強い意志を感じたのを覚えています。何かを買いたいわけではないのですが、父は庶民的な商店街や賑わう場所に自分の身を置くのが好きでした。ゆっくりと休みながら朝市を散策しました。

宿泊は能登島にあった海岸沿いの漁師民宿で、舟盛りの刺身を堪能しました。そして、海岸線を北上して白米千枚田にも行きました。千枚田の畝の曲線と、キラキラと光りながら寄せる波の背景が、絵葉書のように美しかったのを覚えています。父にとっても印象的な旅として、心に残っていたと思います。

ところが能登半島地震の影響で、千枚田は崩れ落ち、朝市の建物はほとんどが焼け落ちてしまいました。海沿いにあった漁師民宿は今でも残っているのか、わからない状態になっています。能登半島の西側海岸になる千里浜の砂浜は、隆起しているのでしょうか。父と過ごした思い出の景色は、現実には何もかも無くなってしまったと思うと悲しい気持ちになります。

遠くの地から能登の事を考えていました。自分の足で歩こうとした父の姿を探すことは叶いませんが、能登を思い、賑やかな朝市通りも美しい千枚田も、賑わいが戻る事を願っています。

「風に立つライオン基金」のホームページには、

「赤ちゃんは産まれるとき誰でも両手を握りしめて生まれてきます。あれは何を握りしめてきたのかと言うお話です。

実は、人は生まれてくるとき右手に「元気」を、左手には「勇気」を握りしめて生まれてくるのだと僕は信じています。

この二つには共通の、奇妙で不思議な性質があります。

「元気と勇気」は使わなければ使わない分ドンドン減ってゆきます。逆に「元気と勇気」は使えば使うほどドンドン増えてゆくのです。」

「風に立つライオン基金」ボランティアアワードHPより


という、さださんのメッセージが書いてあります。
父は自分の足で歩くことで私に「元気と勇気」を伝え、
さださんはLAの人たちだけでなく、
能登にも「元気と勇気」を置き土産にしてくれたのです。

「元気と勇気」をドンドン使う人になりたい
 そう思いました。


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