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[小説]グリーンアーカイブ

東北ずん子SF小説『グリーンアーカイブ』の冒頭試し読みです。
ずん子をご存知でない方にもお楽しみいただけます。
SF/アンドロイドの自我や在り方をテーマにした作品です。

<あらすじ>
「ボイスピークにアップグレードしませんか?」
音声合成・会話型アンドロイド『ボイスロイド』——東北ずん子の提案に、私はすぐ答えられなかった。二人で暮らし始めて二年、変わったことだって多かったはずなのに、私は何を恐れているんだろう。二人の答えは出せないまま、誘われるように私たちは東北・白石に足を運ぶ。「東北ずん子」を冠するスタンプラリーで様々な「ずん子」たちに出会い、触れ、話し、やがて一つの答えに収束していく・・・


<本編>

「ユウキさん、ボイスピークにアップグレードしませんか?」
 深い緑の髪を揺らして顔を覗かせながら、後ろからボイスロイド──音声合成・会話用アンドロイドの東北ずん子が訊いてきた。くたくたによれたブラジャーやブラウスを洗濯籠に放り込んだ時のことだった。
「ボイスピーク?」
「新しい音声合成用のエンジンがリリースされたんですよ」
 キュイッとフォーカスを合わせながらずん子の黄色い瞳が私の目を見つめる。どこか嬉しげな気配を感じ取れるようになってきたんだな、とずん子との生活を思い返しながら私は質問する。
「ボイスピークって何が変わるの?」
「大きな所だと、感情パラメータの実装ですね」
「感情パラメータ!? ついに?」
「はい。通常の発声に加えて、悲しみや驚き、ふんわりなど五種の感情表現ができるようになります。それぞれのパラメータを複合することで絶妙なニュアンスを生むこともできるので、表現の幅が格段に広がります!」
 感情が豊かになったずん子を想像してみる。表情こそ今でも多彩だが、音声合成のレベルは現代では少し時代遅れになりつつあった。耳になじんだ合成音声だけれど、人間に近い発話ができるようになる、ということだろうか?
 目の前のずん子はボイスロイドが世に出てきた頃にリリースされたモデルらしく、感情パラメータが実装されていない。声音やイントネーション、発話速度を変えることで「それらしい」発声をしている。これを実現しているのが彼女のシリーズ名でもあるボイスロイドエンジンで、旧世代型とされているものだ。A.I.VOICEやCeVIO AIなど、ボイスロイドをベースに進化したもの、あるいはまったく別の設計思想で作られたものなど次世代型エンジンが今を席捲している。ボイスピークもその中――次世代型の音声合成エンジンのひとつらしい。これらのエンジンに新たなキャラクターを設定して作られたものもあれば、人気のあるキャラクターを旧世代型エンジンから刷新してリリースするものもある。ずん子もその流れの一つなのだろう。
 とはいえ、ずん子の次世代エンジン型がリリースされるとは想像していなかった。まったくと言うと嘘になってしまうけれど、すっかり耳に溶け込んだ声が変わることに思考を巡らせるのをなんとなく避けてしまっていたような気がする。
「表現が豊かになるのはいいね」
 これは嘘ではない。以前からずん子のアップグレードを望むマスター……ボイスロイドのユーザーの声は少なくなかった。仲間のボイスロイド達が続々とアップグレードされていく中、ずん子の新たな声については歌唱用エンジンを除いて続報が聞こえてこない状況が続いていた。ここに来て感情パラメータが実装された次世代型エンジンでリリースされるという事実は、ずん子が「見捨てられていない」ことの証左だ。一ユーザーとして喜ぶべき状況に他ならない。だが、私の心は浮ついていない。正体の分からない暗雲が脳裏に立ち込めつつあった。
「ボイスピークにアップグレードしたい?」
 ずん子に尋ねる。
 この問題は私の一存では決められない。ボイスロイドは家電の一種ではあるが、まったくの機械という扱いではない。マスターである人間とアンドロイドで人格権を分担しているからだ。両者の合意があって初めてカスタマイズが可能となる。疑似人格を持つ彼・彼女らを保護するためのルールだ。
「私は、ユウキさんともっと上手く話せるようになるなら、してみたいです」
 ずん子は、たどたどしくも自分の意思を伝えてくる。私も、感情豊かな話し方をするずん子が見てみたいのは確かだ。頭の暗雲を振り払う。これはきっと、前に進むことに怯えているだけ。初めてのものに触れる時のためらいだ。
「それじゃ……」
「けど、ユウキさん……ひとつ問題があって」
 ずん子が俯きながら遠慮がちに言う。
「問題?」
 こくり、とずん子が頷く。
「実は、ボイスピークにアップグレードするにはシステム要件を満たしていない……この体のスペックが不足しているんです」
「つまり?」
「アップグレードに合わせて新しい体を導入しないといけないんです……」
 要するに、パソコンが古くなって本体自体の更新が必要になるのと同じらしい。
 うちのずん子はエントリーグレードの、それも中古品だ。うちに来た当時でさえ型落ちだったずん子は、体もそろそろ限界なのだということだろう。もちろん、今すぐに駄目になるわけではない。だが、いつまでも同じマシンを使い続けるというわけにもいかない。ずん子がマシンだということをこの時になって実感した。
「そっか、いよいよその時が来たかぁ……」
 居間に戻ってソファに腰掛けながら天を仰ぐ。

<続く>

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