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10代の記憶 ~5歳の私に戻る時間~

34歳の時、私は親になった。不育症で流産続きの世界を上から見守ってくれていたかのようなタイミングで、我が子は私たちのもとへやってきた。
「親になってみてわかることがある。」と反抗期の時によく母から言われていたが、実際は親になってみてますます両親の想いや価値観が分からなくなった。

5歳の私、寝付けない私を横に、寝息をたてて眠った母を暗闇の中に感じ「お母さん疲れてるんだな、静かにしてよう。」

私は「おーい、起きてーー!!」と起こすタイプではなく、父母を困らせないように、少しでも役に立てるようにと幼少期から思う子どもだった。
断片的に覚えている記憶、子育て中にふっとよみがえる記憶、その中にいる小さな私は甘えるより、自立していることを、わがままや癇癪ではなく肩たたき、お手伝い、、のように親に気を遣うことで自分の存在を確認する日々を過ごしていたことに気づく。
両親はそんな私をどう見ていたのだろう。私の記憶違いで実際はワイルドで獰猛な生き物だったのかな。


幼少期、振り返る中で覚えているのは自分の表情ではなく、親や他人の表情。本能で生きている分、身体が覚えているぬくもりや寂しさの温度。自分は何度母親に抱きついて抱っこをせがんだのだろう。我が子の終わりのないその要求に幸せを感じる時、同時にそうしなかった自分を思い出す。

子どもでいられる間は思い切り子どもでいればいい。
甘えたいだけ甘えて、好き放題親に何でも要求して、やりたい放題する。
そう、雪の降る日に歩いて行きたくないと迷わず言える子と出会えるために。

共働きで競うように仕事をしていた両親。休みの日には田原さんのトーク番組が流れ、母は泥のように眠り、2階の部屋の窓から呑気に飛んでいるプロペラ機を一人眺めていた私。12歳の時には母親もビジネスを立ち上げ、朝から晩まで忙しくしている2人。親というか経営者が家に二人、残念ながら不仲だった。
あの時代を乗り越えて昔を振り返ることができる年齢となり、人生の酸いも甘いも今の自分に還元されていることを感じている。

私の歴史であり、私にしか歩んでこれなかった時間たちだと眺められるようになった。


本日のまとめ
<幼少期の私から今の私につながったこと>
「子どもが親に甘え、頼り、わがままを沢山言うことは悪いことではない。」と信じきって子育てしている私がいること。

親になって自分が辛いと感じる場面は自分がしてこなかったことを子どもがする時。わがままや泣き止まない泣きにたじろぐのは私はそれらを我慢して自分に許してこなかったから。辛かった寂しかった時間、誰も悪くない。
記憶を許し、癒し、今の自分を解放しよう、そう思える人生は悪くない。


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