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短編小説「2007年夏の仮定法」

一学期終業式で、進路主任が「夏を制する者は受験を制する。」と気合を入れた。クラスに戻ると、担任のユキ先生が「英語を制する者は受験を制する。」と上ずった声を出した。

「要するに、夏休みに受験勉強をやり抜き、英語は合否を左右するからマスターしろ、と言いたいんだろ。」 
リクは暗い気持ちになる。「そういえば進路主任は夏休みではなくて夏勉強だと、言っていたな。」

彼には部の先輩に影響されて入りたい大学があるが、サッカーに捧げた高校2年間はほとんど勉強することはなかった。勉強は分からないし、嫌いだ。通知表も2ばかりだった。5月に県大会の2回戦で敗退してから受験のことを考えるようになってはいたが。

受験講座が始まる。

管理棟1階にある大教室には、90人ほどの生徒がいた。エアコンは設置されていない。(3年後にはエアコンが使えるようになった。)夏の日差しが容赦なく校舎を襲う。窓は全開だが風はない。勉強する場所ではない。
そんな環境で、リクの難敵、英語を学ぶ。担当は彼の担任のユキ先生だ。

リクにとってつらい時間だ。それはユキ先生も同じである。

普段から授業を始めると必ず眠ってしまう生徒が数名いる。リクもずっとその一人であった。今日の受験講座でさえ同じだ。多分10名ほどが眠っている。ユキ先生は「受験のためなのになぜ眠るのか。」と考えて胃が痛くなる。

ユキ先生は日頃から考えている。
眠る理由は、部活動の疲れ、毎晩ゲームをやり過ぎる、勉強が嫌い、英語がわからない、もともと学校に関心がない、若いからホルモンバランスが悪い、云々である。登校前母親や友人とトラブルがあったことや、体育の時間にハッスルしすぎたせいかもしれない。本当に体調不良であることは稀なのではないか。ひどい病気なら欠席するだろう。
でも、どうしたらよいか分からない。

仮定法過去は3割程度の生徒がおぼろげに理解している。だいたい、生徒は仮定という日本語の意味さえ理解しているか怪しい。

「仮定というのは、現実の逆のことを表現すること。例えば、今この教室はメチャ暑いよね。それが現実。この教室が涼しければ、というのが仮定。OK? 現実と非現実の関係。場合によっては、願望とか夢を表すこともあるよね。今は、涼しいことが願望。涼しければ・・・これは願望。速攻で大学に合格できれば・・・というのは今のみんなの夢。私の場合は、仮定法をうまく教えることができれば・・・。」

ユキ先生は本題に入っていく。
「私は車を持っていた、と過去形で言うと、今は車を持ってないことも意味するでしょ。」
先生は少し間をおいて続ける。
「英語も同じだよ。I had a car.と過去形で言えば、今は車を持ってないというニュアンスが出てくる。」
生徒の顔色を覗いながら、さらに説明する。
「だから、If I had a car って言えば、実際今は持ってないけど、今持っていれば、・・・っていう感じになるでしょ。」
If I had a car, I could go there.と大きく板書して、「could もcanの過去だよ。」とトーンを上げる。
「車を持っていれば、そこに行けるだろう。現在の仮定は、前も後ろも過去形を使うの。OK?」

生徒たちはぼんやりした目つきになる。目を開けて寝ているのだ。理屈より感覚で生きていく世代だ。
「やはりだめか。」とユキ先生はため息をつく。だんだん弱気になる。
「If 主語 過去形… , 主語 would(could)~」 の形を何度も確認する。形だけなら生徒も分かる。

定着のため、生徒に問題を解かせる。

生徒が問題を解く間は生徒の観察をする。自分のクラスのリクや彼の仲間が起きているのを見て少しだけ安心する。眠る生徒の机を回って問題を指示する。シャープペンが動かない生徒もいる。まったく授業内容が理解できないのだ。
「コソコソおしゃべりをしないだけましだけど。」とユキ先生は思う。

問題の解説で授業は終わる。

リクは背伸びをする。久しぶりに、授業中起きていた、と充実感を感じている。
「とりあえず仮定法は過去を使えばいいんだな。」と独り言を言う。
“If I had a car, I could go there.” とユキ先生が出した例文をつぶやいている。
しかし、仮定法は先が長く、合格への道は半端なく長いことに気づいてはいない。それでも、勉強に少しだけ前向きになって、仮定法を見直そうと図書館への階段を軽快に上っていく。彼の脳は「明日こそは・・・」と未来志向になっている。脳は、仮定法で使う過去形と速攻合格という仮定(夢)が占領している。

一方、ユキ先生は職員室へ戻り、気分が乗らないまま、翌日の講座内容を予習する。その後体育館へ行ってバスケット部に檄を飛ばす。そして帰宅の時間となる。蒸し暑い体育館にいたせいか疲労している。体ではなく気持ちが沈んでいるようだ。汗を拭きながら机の上に置いてある講座テキストを見ていると、空しさがどんどん大きくなる。

重い足取りで家路につく。暗い気持ちで玄関のドアを開けると、「ママー」と叫びながら4歳と2歳の娘がこちらへ駆けてくる。4歳が前で、2歳がまだぎこちない歩きでついてくる。二人の娘は先生の足に抱きついてくる。奥の方からイクメンパパになった夫が「お帰り、晩御飯できてるよ。」と呼びかけてくれる。

ユキ先生はしみじみ幸せを感じる。
家族に救われている。
「この家族がなければとてもやっていけない。」と思う。
それから、苦笑いをしながら「あれ、仮定法の文をつぶやいている。」と気づく。
「そういえば明日は ‘ifのない仮定法’ を教えるんだった。」
Without my family, I could never try tomorrow.
気分は一転して、「明日こそは・・・」と考えつつ、2人の娘をしっかり抱きしめる。

今年もまた、先生も生徒も、仮定法と闘う夏が始まった。


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