コロナ禍とオバサンと日記

 「コロナになってから」というフレーズをよく耳にする。コロナ前後でいろんな人の生活スタイルが、仕事が、場合によっては価値観までもが、ガラッと変わったんだと思う。私も例外ではなくて、コロナになってからリモートワークという働き方に順応したし、除菌抗菌に対する意識も高まったし、家で飲み食いする楽しみを見つけるに至った。とはいえ、飲食店に勤務している方や、小さい子供がいてステイホームが完全なカオス状態と化している家庭と比べると、私は生活の変化にそこまで戸惑うこともなく、かなり穏やかにwithコロナという新しい環境を迎え入れたと思う。

 姉とも週末そんな話をしていて、「オバサン一人の生活なんかさ、そりゃ大した支障もなく順応できるよね」という意見で一致した。オバサンと言えば、余談ですが私は昨日38歳になりました。人って本当にそんな年齢になっちゃうんだな、と、自分でもびっくりしているけど、当日友人から「長野の道の駅で買った野菜を宅配ボックスに入れておくね」とLINEが来て、ものすごく嬉しい気持ちになった私は、一点の曇りもないオバサンだと自認しています。ちなみにその友人は、オジサンです。

 コロナ前後というよりも、私にとってインパクトの大きかった環境変化というのは、祖母の生前、死後、の切れ目だと思う。祖母が亡くなってから、時間の使い方があらゆる面において圧倒的に変化した。その変化の一つは、なぜか長年書いていた日記を書くのが億劫になったことだ。文章量の差さえあれど、20代から毎日せっせと手で書いていた日記が、書かないと罰が当たるんじゃないかと思っていた日記が、祖母を見送ってから、不思議とあんまり書けなくなって、書くこと自体に全く乗り気じゃなくなった。それはおそらく悲しいからとか、辛いからとか、そんな理由ではなく、シンプルに、人生がドラスティックにシーンチェンジしたが故に、日記をつける行為自体が、必要なくなったからなんだと思う。だから、それで全然良いんだと思う。続けることだけが善ではないのだ。

 とはいえ、今日は38歳はどうなりたいか、について真面目に考えていて、その結果、毎日日記に何かしら書き記していた当時のルーチンを幾ばくか取り戻したくなった。願わくば、寝る準備が整ったら日記を書いて、そして睡眠導入剤の代わりに本をペラペラめくりながら、そのまま眠りに落ちる日々を、いつの日かまた自分の日常に、必然的に、無理なく迎え入れられますように。

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