見出し画像

バルセロナでバスケの試合を観た話(7)

ついせんだて、サッカーのエルクラシコ(スペイン語で伝統の一戦の意)と呼ばれるFCバルセロナvsレアルマドリードの試合がカンプノウで開催され話題になっておりましたがバスケットボールでもバルサvsレアルはエルクラシコであり1番人気のカードです。そうです、レアルマドリードにもバスケ部はあるのですね。
前回、対戦相手のサポーターは会場に見当たらなかったとレポートしましたがバルサとレアルの対戦は歴史的政治的背景があるのでそのあたりは他の試合と違うのかも知れません。

と言う事で今回はFCバルセロナの本拠地カンプノウがあるカタルーニャの歴史…を最初からは難しいのでFCバルセロナに関わるであろうあたりをざっくり年表にしました。

1701年 スペイン継承戦争(英仏の覇権をめぐる戦争の一つ)が始まる
1714年 カタルーニャ地方の主都バルセロナが陥落、カタルーニャはスペイン軍の占領下に置かれた
1716年 カタルーニャは自治権を奪われ母国語カタルーニャ語の使用が禁止に
1899年 FCバルセロナ創設
1902年 レアルマドリード創設
1936年 スペイン内戦が勃発
1939年 フランコ将軍が率いるファシズム勢力が勝利。言語だけではなくカタルーニャの文化までも弾圧。カタルーニャ語は公の場ではFCバルセロナのホームスタジアムのカンプノウ内を除いて一切の使用が禁止される。
フランコ政権はマドリードを首都と定め、そこを本拠地とするレアル・マドリードも政権から支援を受ける。
1943年 レアルvsバルサのクラシコでは11-1でバルサが大敗。バルサに対し国防長官からの脅迫、軍隊や警察の威圧、レアル寄りのジャッジがあった為と言われている。
1975年 フランコ独裁者死亡
1979年 カタルーニャの自治権が認められ、自治州となる。
フランコの死後、フアン・カルロス国王の治世下で公での使用が禁止されていたカタルーニャ語も復権。
2010年 憲法裁判所がカタルーニャ自治憲章を違憲であるとする判決を下す。
以降、中央政府がカタルーニャを軽視しているにも関わらず経済的に裕福なカタルーニャ州の税金を他に沢山使っている等の理由からスペインからのカタルーニャ州の独立を目指す政治運動が活発化。

ものすごく雑にまとめるとスペイン継承戦争で負けたカタルーニャは新政権下で弾圧を受けカタルーニャ語を公の場で使う事を禁止されますが唯一、FCバルセロナのホームスタジアムでのみ許されました。母国語で応援出来るFCバルセロナはカタルーニャ人にとって「クラブ以上の存在(més que un club.)」になりました。一方、新首都になったマドリードを拠点とするレアルマドリードは優遇されます。
そんな歴史的政治的な背景がある為、バルサvsレアルは代理戦争の側面がある試合になったのです。

画像2

ってもしかしたらこの説明だけで年表は要らなかったかも…笑。
なお、バルサバスケ部は1926年に、レアルバスケ部は1931年に創設されています。

さて、独立運動が激化して来た近年、バルササッカー部応援団は前半17分14秒に「In - inde - indepedència(独立、独立だ!)」というコールをするようになりました。これは1714年にカタルーニャが自治権を失った事に由来します。バスケットボールは10分×4Qですし時間の取り方もサッカーとは違うので同じ事をしているかどうかは分かりませんがバルサバスケ部応援団の皆さんが試合中にカタルーニャの独立旗(アスタラーダ)を掲げるシーンは何度かありました。

画像1

次回、チームカラーの話に続きます。

▶次の記事
バルセロナでバスケの試合を観た話(8)
https://note.com/asako_h/n/n55bce6acd2ff
▷前の記事
バルセロナでバスケの試合を観た話(6)
https://note.com/asako_h/n/n88e78abe58e4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?