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周りの変化が気になったり、抵抗したくなったときには

「変化」ってたぶん
それを起こして「いない」人が感じるもの
なんじゃないかなとおもう
 
変化を起こして「いる」人ってさ
実はずっと変わらず、同じ目的を見据えて
その目的を叶えるためには?を基準にして
いまの動きを決めているんだよね
 
状況は刻一刻と変わっていくから
必然的に、動きも生み出すものも変わる
ただそれだけのことだったりして
 
そういう意味では、起こして「いる」人も
自分が起こして「いない」変化を感じて
対応しているだけ、ともいえるんだけど。
  
 
大事なことは
その「変化」はどこからきているのか?を
知ろうとすることだと私はおもう
 
何を叶えたくて
その「変化」は起こっているのか。
 
起こしたのが、人なら
その人は、何を叶えたいのか
 
起こしたのが、自然環境なら
生態系は、何を調和させようとしているのか
 
起こしたのが、テクノロジーなら
社会に、どこに向かう力学が働いているのか
 
 
そしてその中で、自分は何を叶えたいのか?
と自ら描き、動き始めたときに、はじめて
その人もまた、変化を起こして「いる」人に
なるんじゃないかとおもう
 
 
変化を起こして「いる」ことが
正しいと言いたいわけじゃなくてさ

だってほっといても早かれ遅かれ
すべてのことは変わっていくからね

ただ 
周りの変化が気になったり
抵抗したくなったときには
 
あなたは何を叶えたいのか?
そのためになにをするのか?
 
に向き合うときなんじゃないかな、とおもう
という話です。はい。

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