願いには、その人らしさが詰まってる
20年来の友人のウェディングパーティでした。
もっと若い頃は、結婚というものを
他の出来事よりも、特別に大事にしないと
いけないとものだとおもっていたから
友人や家族や近しい人が結婚したとき
「結婚」そのものを祝ってたし、喜んでた
でもね
いまは、ちょっと違う
大事じゃない、とおもってるわけじゃなくて
「美味しいカフェラテが飲みたい!」とか
「いつか沖縄の海を見に行きたい!」とか
「今日は仲間といっぱい話したい!」とか
そういうひとつひとつの願いに
優劣も大小もないのだ、ということに
気がついた、ということなんだとおもう
すべてが特別な出来事になり得ると同時に
すべてがなんでもない出来事にもなり得る
だから、出来事が何かなんてどうでもいいんだ。
ただ、あなたの願いが叶ったことが嬉しいんだ。
大好きなあなたが笑っていることが嬉しいんだ。
願いには、その人らしさが詰まってる
世間体や常識に縛られたところからではなく
心から湧き出るように現れる願いは
その人そのものなんだとおもう
だから、あなたらしさがいま、ここで
花を咲かせていることが嬉しいんだ。
きっとその気持ちは
例え相手が大嫌いな人であったとしても
持つことはできるもので
喜べないとしたら、それはたぶん
視点や距離感や関わり方がズレてるだけ
だから、喜べる視点や距離感や関わり方を
調整すればいいだけのことかもしれないね
そうやって、お互いの日々に
祝福しあいながら生きていけたらいいよなぁ。
まだまだ、理想通りにはできないけど
そんなことを考えるようになっただけでも
よかったんじゃないかな、とおもいます。
明日も良い日でありますよーに◎
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