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自分の全体で生きること

考えていることを人に話したりすると
「ティール組織にそういうことが書いてある」
と言われることがときどきある。
 
そういえば流し読みしかしてなかったなと
改めて「ティール組織」を読み返していると
なるほどたしかに。
特に「全体性(ホールネス)」は
私の願いそのものだ。
 
 
小さい頃から、疑問だったことがある。
やりたくないこと(お手伝いとか?)をやるとき
なぜ、やりたくなさそうにやってはいけないのか。
やりたくないことなのに、なぜ
さもやりたいことかのように
やらなければいけないのか。
やりたくなさそうな態度を示したら
ひどく怒られたものだった。
そして、同じことをやらないでいい人を見て
妬ましく、腹立たしくおもっていた。
 
 
大人になってからもしばしばあった。
やりたくない、やるのに抵抗があることを
なぜ前向き風にやらないといけないのか。
やるだけでも苦行なのに
気持ちまで押し殺さないといけないなんて
二重の苦行じゃないか。
やりたくない、と言えば、ワガママで
やる気のない人だとレッテルが貼られた。
「やる気にムラがある」などという
人として当然のことが、欠点として扱われた。
 
 
だからといって、割り切ってやろうとすると
楽しさも喜びも、感じられなくなった。
そこには無味乾燥の時間があるだけで。
 
 
 
自分が薄々感じてることが書いてあったり
モヤモヤしていたことが言語化されてると
勇気がわくし、がんばろうとおもえるでしょう。
自分自身と繋がれること、掴めることは
人間の、勇気やパワーの源泉なんだよ。
 
 
それを、いつも自分でできていたら。
どんな自分の感情も、欲求も、思いもすべて
押し殺さず、切り離さず
繋がって、掴んでいられたら。
どんな人もそうやって生きることができたら。
 
 
どれだけ豊かな社会になるだろう。
 
 
自分の全体で生きること。
それがいつか、当たり前の社会になって欲しい。
 
 
そんな社会を作るために
活かしてもらえる私であれますようにと
誰に向けるでもない願いを、空に投げる。
 

そして、そのために私にできることは
切り離した私を、もう一度受け入れること。
痛いし、しんどいけど
願いを叶えるスタートラインに
やっと立てるような予感がするんだよ。
 
 
月は、欠けているように見えても
いつでもそこに、全体で浮かんでいる。
 
 
#空  #三日月 #全体性 #ホールネス #願い #ティール組織

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