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新人お題シリーズ(5)社長が社員だった頃、会社をどんな時に辞めたいと思ったか

第5弾です。
先日もう1人の社長、Mさんにこの問いを投げかけてみたらこんな答えが返ってきました。
「辞めたいと思ったことなんてないよ」
はい、らしいですね(笑)。Mさんは3つの会社を経てBit Beansの立ち上げに関わったことを私は知っています。その3つを辞めたわけだから辞めたいと思ったことはあるはずなのですが、これは言葉の問題でこの返答はこんなふうに続きました。
「方向性や目指すものが違ったから離れた、っていう感覚。会社の中で嫌なことがあるならそれは変えていけばいいだけだけど、方向性が違ったら離れた方がお互いのためだから離れたまで。辞めようと思って辞表を書くっていう感覚じゃない」
そうですね。
微妙な言葉のニュアンスだけれど、同じように3つの会社を経験した私も、これに近いと思います。嫌なことを変える努力をした上で、自分の目指すものが大きく会社と離れてきたと感じた時に、辞めて他の道を選んできました。

今回は「会社をどんな時に辞めたいと思ったか」というお題ですが、ちょっと意訳して「仕事をどんな時に辞めたいと思ったか」にした上でご返答させてもらいます。仕事、という言葉の中には「会社」という意味も含まれるかもしれませんが、職という意味で書かせてください。会社を辞める、というのとはまたちょっと違い、デザイナーという職を頑張ろうとしていた新人の私がもうデザイナーを辞めようと思った時のお話(当然その会社を辞めることも含まれます)。

紙のポスターなどを作る広告デザイナーだったわたしの1年目のお話です。
1年目、広告制作会社内で関わっていたのは、代理店主導の大規模プロモーションの一部。駅貼りポスターや新聞広告、雑誌広告やPOP、グッズのデザインまでトータルで提案するシーンの、プレゼンテーション用のカンプづくりなどが多くありました。まあ新人なので1年間はほぼデザインをするというよりも、良くて写真撮影前の写真合成や、雑誌広告のリサイズ、その他もろもろの雑務なんかが主なお仕事でしたが。

そして、もちろん今のようにPCを使った作業もありましたがまだひとり1台のPCが支給されるような時代でもなく、手作業も多くありました。A3の紙を繋いで大きなポスターを再現したり(これは今でもあるだろうな)、写植もまだあった時代。薄はぎって知ってます?カッターで薄く切れ目を入れて紙を剥いで写植の文字を入れ替えたりするの。烏口もまだご健在で。

残念なことにわたしは、おっちょこちょいな上に非常に手先が不器用です。
財布をなくすのは日常茶飯事、普通に歩いていて看板に頭ぶつけたりして大笑いされたこともありました。手先に関してはアクセサリーが壊れたからちょっと直す、とかプラモデル組み立てる、とかまあ、ぜんぜん、ぜんぜん、ダメです。塗り絵の色もはみ出します。
新人の重要な仕事のひとつに、出力された紙を切って繋げる、という仕事がありました。コピー機の前に待機しながら先輩や上司の出すプリントを待っていて、出てきたらさっと繋いで持っていく。でも、わたしは切ってはいけない部分を切ってしまったり、はみ出したり、手作業が必要なシーンでは度々上司にため息をつかれ…1人で居残り練習させられたこともありました。
もうちょっと真剣にやれ、気持ちがたるんでるんじゃないか。よく叱られました。

事件が起きたのは、とある大規模キャンペーンのプレゼンテーションの作業の場でした。方向性が日々変わり、徹夜がつづいた最終日、上司含めてデザイナー5人と営業2人が残りながら最終プレゼン資料を作り上げているシーン。明け方3時半くらいでしょうか。全てのカンプが出来上がり、やっと終わりが見えてきて、大きな作業台の上に制作物一式を並べたところ。さあこれを今からチェックして終わりだね。という時に、わたしは大きなポカをやらかしました。
ノリを、ぶちまけたんです。
たくさんの紙のカンプや、グッズ見本としてマークを貼り付けた帽子や、Tシャツにまで。
その瞬間「何してんだ!」と上司から大きな怒号が飛ばされ、反射的に「申し訳ありません!」と頭を下げる。
明け方まで作業して疲れ切ったみんなの目線は、無残にノリがついてしまったカンプに注がれました。そしてその後は誰もわたしを叱りもせずにただ黙々と修復作業に取り掛かり、始発が動き始めたころに、営業さんは代理店の方へシミがついてしまったことを謝罪しながら全ての制作物を渡しました。
誰も、何も、慰めの言葉をかけられないくらいの大ポカ。
わたしはラッシュと反対方向の帰宅の電車にゆられながら、
ああ、もうダメだ。
デザインできるできない以前に、こんなにおっちょこちょいでしかも手先がこんなに不器用なんじゃデザイナーになんてなれるはずもない。美大まで出てわたしの生きる道はこれしかないと思ったけれど、これじゃ私がいるだけでみんなに迷惑をかけてしまうだけだ。
ーーもう、辞めよう。
そう、思いました。
これが、私の「デザイナーを辞めようと思った時」です。
お題としては、これでいいでしょうか。

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ここで終わるのもなんなので、その後なぜ辞めなかったかを書かせてください。
就職するにあたっては、父に協力してもらった部分もあったので、わたしはまず、父に話をしにいきました。手先が不器用すぎること、手先が不器用だと困るシーンがたくさんあること、こないだやらかした大ポカのこと。だから、もう辞めたいと思っていること。
しばらく考えて、父はこう言いました。

「苦手なことをしなければいいんじゃないか? 得意なことはあるんだろう?手先が器用な人間はたくさんいる。その人たちに苦手な作業を代わってもらえるように努力して、得意なことだけやるようにしたらどうだ」
「もちろん人に作業を代わってもらう時には相手にもメリットが必要かもしれないが、苦手なことをして失敗ばかり重ねたら、社内の評価は「できないやつ」にしかならない。そんなのつまんないだろう?得意なことがあるなら、そこで勝負をしなさい」

眼から鱗、でした。
かくして、私の努力の方向はガラリと変わり、積極的に自分が優れていると思う方向の仕事をどんどん引き受けることにしました。上司に掛け合ってあえて仕事を増やしてもらったり(手作業をやらないですむように)、それと部を超えて色々な人とのつながりを持つことを意識して、とにかくフロア全体の人の望むことや得意なことを把握しました(手作業を頼める人脈つくるために)。おっちょこちょいな失敗は減らせそうになかったので、許してもらえるキャラ作りも大切な努力の方向でした。
わたしは絵画の実績があるので写真合成は得意でした。
得意なことをどんどん引き受けているうちに、誰にも負けない合成ができる自信がつきました。そしてそれを評価してもらえるようになりました。
慰めもできないほどの大ポカをやらかして、もう辞めようと泣きべそをかいていた新人でしたが、そのうちにデザイナーを辞めようと思ったことは「懐かしい話」に。今では、不得意なことがあったからこそ、自分が努力する方向が見えたと思っています。
あの時辞めなくて、よかった。
そんなお話でした。

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