見出し画像

ぬるっと来る別れ

皆さんは別れを経験したことはあるだろうか。その大小は問わない。恋人との別れ、両親との別れ。卒業、転勤、独り立ち、死別。なんだっていい。でも別れ方ってのは案外重要で。準備ができてると自分の心の中で後を濁さずに済むと思う。

転勤をする。誰が?僕がだ。新入社員の僕がだ。なんなら十七人いる同期の中で僕だけがだ(正確には僕だけが違う会社に出向という形をとった)。
まあそれについては後か先か知らんけどまたNoteにする。(なっている。)出来事の時系列的には配属発表の方が先だが、執筆した時系列的にはこっちのほうが先だ。

まあこのGW直前の配属ということで、みんなでまとまってお別れができたわけではなかった。一週間前にはもうお別れになってしまった同期もいれば、先週お別れになった先輩もいる。お別れがいえなかった同期もちらほらと。そんでもって今日お別れのやつもいれば、ギリギリまで一緒にいてくれるやつもいる。そんなわけで最近の僕は今日はAさんとお別れ、今日はBとS部長とお別れ、と比較的軽い感じで別れを迎え続けている。

そうなると、こう、なんというかちょっと寂しい。寂しいという一言で括りたくないな。「うわっ今日はこの人と最後か!」って感じ。全員とある日を境に会えなくなるならこう覚悟が決めやすいんだが、特にそういったイベントもなく(あったんだが僕的にはそんな気持ちにはなれなかった)、日常の中で別れと対面を続けている。だから、不意にそれと遭遇してしまった時、特に後から気づいた時。ちょっと泣きそうになる。ちゃんとお別れができないからか、さよならがいえないからか、言ってもらえないからか。まあ素直じゃないので泣かないが。

いつかのぷろ奢が儀式の重要性について述べていた。本当にそうだと思う。僕の場合、葬式とか、送別会とかそんな仰々しいものが必要なわけではないと思うが。でもないよりはあったほうがいいに決まってる。それはわかった。ぬるっと別れがくると、混乱するし、なんというか、心に来る。まさに準備ができていない。この言葉に尽きる。

儀式があれば、よし!この人とはもう合わない!みたいな覚悟ができる。自分の腹が決まるというか。決心がつくというか。諦めがつくというか。だからこそ1番は前もって予定を決めてお別れ会があるのがわかっている状態が1番いい、と思う。腹が決まるから。

でも、たとえ別れが突然おとづれたとしても、お互い「じゃあな、頑張って」と向かい合っていえたらそれで十分なんじゃないかな。多分それが僕にとって何より重要な儀式なんだと思う。その後感傷に浸ることになったとしてもそれがないよりよっぽどいい気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?