公園通りのバー【ショートショート】

「こんなところにバーがあったかな」
会社帰りの公園通り。なかなか感じのいい店構えだ。入ってみることにした。
「いらっしゃいませ」
細身で少し神経質そうなバーテンダーが声をかけてくる。
カウンターに腰掛けた。
「お好みのものがあれば、お作りいたします」
「そうだな、今日みたいな春の気温に合うやつを一つ頼む」
「かしこまりました」
イメージはすんなり伝わったらしい。まだ寒いんじゃないか?と少し思ったが、迷わずシェイカーにジュースと酒と氷を入れ、振り始めた。
「お待たせ致しました」
出てきたのは、桜色のカクテルだった。トッピングに桜の塩漬けが乗っている。
「なるほど、桜のカクテルか」
「さようでございます。公園の桜も見頃でございますので」
窓の外、外灯に浮かび上がる桜を見る。本当にカクテルにそっくりな色をしている。
おいしい。数々通り抜けてきた春の思い出が蘇る。切ないこともワクワクするようなことも。春はそんな季節なのだ。
もう一杯もらおうかと思ったが、あまり帰りが遅いとまた女房に叱られる。
「申し訳ないが、チェックしてくれ」
「かしこまりました」
カクテル一杯に800円。高くも安くもなく、味にも見合った値段だった。
「ありがとうございました」
バーテンダーの声に見送られ店を出る。
「まぶしい…なんだ?この光は?」
店の前に光のトンネルができていた。こんな奇妙なもの通りたくないが、これを通らないと道に出られないようだ。何しろ眩しくて、先の黒い点しか見えないのだ。
とにかく点を目指して出てくると、そこは公園の噴水の前だった。振り返るとさっきまで酒を飲んでいた店はもうなかった。
「いったい…どういうことだ」
すると、噴水の縁に腰掛けていた女が答えた。
「幻惑樹にやられたのね」
「なに?幻惑?なんだって?」
「幻惑樹よ、見てご覧なさい。これ全部桜じゃないのよ、幻惑樹」
そう言われ、噴水の周りの木々を見ると、桜でなく紫色の花がついている。
「これに化かされたのね。大丈夫、害はないわ。お酒、美味しかったでしょ?」
「あ、ああ。君もあの店に入ったことがあるのか」
「前に一度きり。もう一度行ってみたいのよ。けれど望んだからって行けるわけじゃない」
「そういうものなのか」
「そうなのよ。あなた行けたんだからラッキーよ」
そう言うと、女は踵を返して行ってしまった。
化かされたのか…。
でも美味しかったな。
また行ってみたいな。
今度は夏向けのカクテルを飲んでみたいと思うのだった。

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