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誰が悪い【ショートショート】

「うぅ‥‥」
目を覚ますと、どこかの倉庫の中だった。頭が痛い。後ろから殴られたのを思い出した。

「目覚ましたか」
暗闇から男の声がする。知らない声だ。

「これは‥‥どういうことなんですか‥‥なんでこんなとこに‥‥」
痛む頭を押さえながら私は聞いた。まだぼんやりしていて、自分でもおかしなことを聞いているなあと思った。

「どういうこと?お前の胸に聞いてみるんだな」
男の表情はわからないが、ひきつったような笑いが混じった声だった。

「あんたの娘だよ」
男は笑い終えるとぼそっと言った。
娘?確かに私には娘がひとりいる。

「あんたの娘が俺の人生めちゃくちゃにしたんだよ」
「‥‥‥は?」
娘が?全く思いつかない。中年らしき男の声。娘はまだ二十歳だ。どこで関わりがあるとも思いつかない。

「あの日俺はいつものように満員電車に揺られていた。満員電車だぞ!大学卒業からずっと、面白くもない会社に行くのに、苦痛ながらも弱音も吐かず満員電車に揺られて、家族のためにがんばってきた。15年もそうやってきたんだ」
「‥‥‥」
何の話かさっぱり分からず、私は言葉を失ったまま聞いていた。

「あの朝、あんたの娘が余計なことをしたんだ」
娘の話が出てきて、私はびくっとした。

「俺を‥‥痴漢呼ばわりしたんだ」
「‥‥は?」
私は驚いて聞き返した。
「あんたの娘合気道やってるんだってな」
たしかに娘は中学の時から合気道をやっていた。
「くだらない女が‥‥猜疑心の塊みてえな顔したやつが‥‥自意識過剰な女が‥‥痴漢されたって騒いだんだ」
そこで私はふと思い出した。娘が電車で痴漢を捕まえたといきまいていたのを。お父さんも痴漢なんかしないでよね、と言われ、馬鹿なそんなことするわけ無いと笑った‥‥そんな会話を思い出した。しかしながら心のなかでは、あの時娘の正義感を誇らしく思ったのだった。娘もそれに気づいて誇らしげだった。

「もしかしてその時の痴漢が‥‥あなたですか」
言い終わるか終わらないかのうちに、ばちーんと頬を張られ私はコンクリートに頭を打ち付けた。
「俺が痴漢なんかするわけねーだろ!冤罪だよ冤罪!大体あの女、自意識過剰な!あんなデブでブスの三十女、誰も痴漢なんかするわけないだろ!」
男は激昂のあまり、ふーふー言っている。声も上ずって早口になっている。
「それをお前のばか娘が!正義の味方気取りで俺の腕を捻り上げたんだ!俺は脱臼して痛みに動けなくてそのまま次の駅で突き出されて、会社もクビになって家族も出ていったんだ!」
「うわ‥!」
男は私の襟首を掴んで無理やり起こした。
「あれから俺は、俺をどん底に落としたあいつが憎くて憎くて、お前の娘だと突き止めたんだ」
男は私に顔を近づけた。暗闇でもわかるほど、男の形相は憎悪と怒りに満ちていた。妙に現実味がなくて、今にも殺されそうになっているのに、人は怒りに燃えるとこんな形相になるのだなあと、ぼんやり思っていた。

「なんとか言えよ!」
男にあらん限りの力で突き倒された。しこたま後頭部をぶつけた。生温かいものが背中を流れてゆくのを感じた。
遠のく意識の中で、誰が悪いのだろうと思った。痴漢されたと騒いだ女性?わからない、本当に痴漢されたのかもしれない。
この男?わからない。もしかしたら本当に冤罪だとしたら?
娘が悪い?この男の冤罪が本当なら、娘がやったのは確かに悪いことだ。だけど痴漢事件の起こった時点で、冤罪なんてわからないじゃないか。
最後に自分のことを思った。私の育て方が間違ったのか?だとしたらもういいだろう。命をもって償えるのだから。そうだ私が悪かったのだ。そう思ったら、カシャンとシャッターのようなものが閉じられて、私の意識はなくなった。

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