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母の愚痴を今まさに思い出している話【エッセイ】

母は長年英会話へ通っている。今回、それで英語力が上がったかどうかは置いておく。

ここ数年、度々英会話でのグチを聞かされて、そのたびに、ああしたら?こうしたら?と「アドバイス」してきた。

わかっている、グチを言っている人はアドバイスなど欲しくないのは。

けれど、元来愚痴聞きが苦手なので、ついついアドバイスしてしまう。

母の愚痴の内容はおおよそこんな感じだ。母が持っていった手作りの椅子にしれっと座られるのが嫌だ。掃除当番でも来ない人がいる。いつも自分が最初に行って教室を整えている。先生への寸志が少なすぎるから値上げを提案しても反対される。役が回ってきても相方がまともに動かない。

あまりに続くので、もうやめたら?と最近では言うようになっていた。


そして今正に私には同じことが降りかかっている。空手のことである。

大人になってから、ベース、プログラミング、英会話など習ってきたが、プライベートレッスンだけだった。産業カウンセラー講座はグループだったが、きちんとした人ばかりが集まっていたので、何年かたつが、未だに連絡を取り合っている。

さて、件の空手であるが、稽古中は他ごとを気にする余裕もないし時間ももったいないので気にも留めない。

しかし、いざ行く前になると、イヤイヤ病が発生するのである。

なんとなく行きたくない。そんな感じである。ちなみに原因は人間関係だ。あまりにも母と同じではないか。

行ってしまえばなんとでもなるのだが。

子供の頃弟がビート板をしっかり抱えながら行くのを嫌がって泣いていたのを思い出す。私も行く準備満タンなのである。

しかしながら、空手自体は面白くなってきている。ここでやめたくない気持ちはある。けれど人間関係が…。そして、他に行っても値段は高いし、同じようにしっかり教えてもらえるところはどうもなさそうである(十軒以上は調べた)。

そこで母の気持ちが分かるのである。よそに行き場はない、けれど英会話教室は楽しい。

そのジレンマで愚痴が発生するのである。

理解した。

私はグチを言うくらいなら別の場所へ行くか、頑張ればいいだろう、と思い、実際そうして生きてきた。

しかしどうにも動けないこともあるものだなあと感じた。

ならばそこに在りながらありのまま受けとめ、気にしないというのが大事なのだろうと思った。おそらくそれができればその課題は卒業なのだろう。

話は逸れるが、感情が湧いてきたらそれを胸に落とし、感情に振り回されないという方法を最近試している。それについてはまた別の記事に書きたい。

まあ、それが不完全だから振り回されてこんな記事を書いているのだけど。


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