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芸術?抽出?自己表現だろ【エッセイ】

AIで絵を描くことが芸術なのか、抽出結果でしかないのか議論になっているようだが。

正直、本人が楽しければなんでもいいんちゃう?と思う。

私はWebデザインが趣味だが、別に描画してるわけでなく、プログラムの結果を出してるだけと言えよう。でも私は楽しい。最初作った時は魔法みたいだと思った。ソースをちょっと書き換えてF5ボタン押すだけで早変わりするのだ。私はいよいよ魔法が使えるようになったと思った。未だにその気分で20年以上が過ぎた。ちなみに他の言語の場合はコンパイルという作業を挟むのと、見た目の変わり方がちょっと地味なので、作っていてもちっと思うこともあって、プログラマにはならなかった。

ピアノを弾いていたんだが、楽譜通りなぞるのって、機械に出来てしまう。けど弾いてると楽しいんだよなあ。だからこれぞ表現でしょ、と思う。AIで絵を描いたことないから、どんな気分なんかわからんけど、まあそんな気分ならそれはそれで楽しいやろなあと。

結局なぞらずやるってなると、自作の曲やアレンジってことになるんじゃないか?それはそれで楽しい。曲を作ってく楽しさがある。けどね、有名な作曲家の作った曲にはかなわんのよ。そういう人ってピアノのよさを変態とも言えるほど熟知してて、余すところなく良さを出している。私の作ったピアノアレンジなんてうすいうすい。わかってても作るけど。やっぱりそういうこと思うと、既存の楽譜を練習したくなるんだよね。なぞるだけって言われるのかもしれないけど、そのハーモニーを俺様が奏でてるんだぜっていうのが、もう鳥肌級の喜び。

あとは話逸れるけど、おんなじ楽譜でも人によって解釈と上手い人でもレベルは違うから、微妙な表現の違いが楽しめる。普通の人からすると変態的な楽しみ方かもしれない。私はフジ子・ヘミングの乙女チックなラカンパネラが大好きなので、来月コンサート行ってきます。生きててよかった。

私のレベルって弾いてきた人に比べて誇れるほどのものではない。高校までレッスン受けてきた人並みの人。コンクール出るほどの人じゃない。けど、小中くらいでやめた人よりはうまい。その程度。音の妙味分かるようになったのは大人になったから(割と最近)だなあ。

空手をやってるんだけど、師匠の言ってることわかんないこと多い。だってレベルが界王様(それ以降のドラゴンボールは見てない。ダジャレレベルの話では無い)。師匠は一定レベル以上だから、妙味?趣き?みたいなのがわかるんだと思う。私は師匠にバイエル弾けと言われて練習してる人。ピアノの話しに例えるなら、私12年習った程度までいかないと、師匠が見てる世界は見えないと思う。多分それでも見えるだけだな。そこからじゃあどうする、なんてのはもっと先の話。

まあともかく、自己表現なんて、本人が楽しければ(人に迷惑かけなければ)なんでもいいと思う。みんなそれぞれの自己表現を、鳥肌級に楽しめばいいと思う。

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