深い水たまり

明日は趣味の畑いじりをしようと思ったら 雨が降ってしまった

翌朝起きると 雨は上がっていた
もうすっかりやめる気でいたものだから どうしようかと思ったが 先の予定を見るとどうにも今日しかなさそうだ
重い腰を上げ 野良着に着替え 徒歩五分のところに借りてある畑へ向かった

やっぱり畑はぬかるんでいた
「うわ」
土に足を滑らして 尻餅をついた
「あーあー、やっぱり今日はやめておけばよかった」
濡れたズボンが忌々しく 声に出して言った

しかし 始めてみると作業は捗々しく 時期もよかったため なかなかの収穫だった

「空が写ってきれいだなあ」
水たまりがてんてんとある
「そうだ」
ズボンもシャツもベタベタだし 誰も見ていない
年甲斐もなく水たまりを跳ねてみることにした

「せーのー」
パシャーン
「あ?」
予想外の出来事が起こったため 周りがスローモーションに見えた
最初は 思ったより深い水たまりなんだと思った
だが水は膝を越え 腰まで浸かり とうとう顎のところまできた
「助け‥」
助けを呼ぼうとしたが 声になる前に頭まで飲み込まれた

まさかこんなところで 溺れ死ぬのか
水の中へ沈みながら思った
誰にも気づかれないんだろうな
まさか水たまりで溺れたなんて

そう思いながら水たまりに翻弄されていたら 上の方から光が見えた
数メートル先の左頭上である
落ちてきたところと方角が違う気がしたが息も持たない
ともかくそこを目指すことにした

苦しい
間に合うか?
もうだめか
あと少しだ

ひどく長い時間が過ぎた気がした
気づいたら私は呼吸をしていた
無我夢中で水から顔を出していたらしい

水たまりの縁に掴まりながら息を整える
ここは‥どこだ?
ようやく周りに気を払う余裕が出てきた

すると 周りに人だかりができ始めているのに気づいた
人々は 地面の方をのぞき込んでいる
それはそうだ 水たまりから顔を出している男がいるのだから

私は不意に恥ずかしくなって 急いで水たまりから這い上がった
群衆はどよめきながら後ずさった

私が歩こうとすると 自然と人波は割れた
得体のしれぬものと思われているようだ
私は恥ずかしさで振り向きもせず歩いた
歩きながら気づいたが ここは隣町の商店街のようだった
知った場所に出たことにほっとした 
ともかくこんなびしょ濡れでは体裁が悪い
そればかり考えながら 家へと急いだ

しかしやはり あの水たまりが気になって仕方ない
野菜も落としてきたし 戻ってみよう

水たまり付近になったら 自然と慎重に歩いていた
野菜は‥落ちたままになっていた
水たまりは‥野菜の手前だ‥あった!

人間不思議なもので あんな恐ろしい思いをしたのにも関わらず 試してみようという気になった

まず 小石を投げ入れてみた
コツンと硬い音がして 石は地面に留まっていた
おかしいな
いや おかしくはないのだ
本来はこれでいいのだが 気になって 足先で触ってみた
ぴちょん と小さな音がして 地面に触ることができた

なんだったんだろう
私の勘違いか?
いや しかし 私は濡れている

狐につままれたような思いで 野菜を抱えて家へ帰った
けれど 水たまりが塞がっており なんだかほっとしたのも事実だった
なんだか今夜はよく眠れそうな気がした

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