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右脳(無意識)で行うことの有益さ【エッセイ】

私は、実は慎重な人間だ。だから出来得る限り最初に情報を引き出しにため、理解してものにするのには時間がかかる。

だから初めての仕事をやっていると、一見同期との差がついて、どうも「できない人」というレッテルを最初に貼られがちだ。

けれど当の本人は周りから煙たがられようがお構いなしに聞きまくる。引き出しをいっぱいにしないといけないからだ。

それである一定の年月を越えると、周囲からすると突然できる人になった、と見えるようだ。


ところで今回の本題は上に書いたことではない。その先にある。


ある一定の引き出しの量を越えると、人間は無意識でそれをこなせるようになる。右脳の働きというべきか。

情報収集は左脳の働きだ。考えながら動いているときというのは、左脳優位になっている。

無意識にやっていた、というときはおそらく右脳の働きなのだと思う。

最初にコツコツ情報収集し鍛錬を積むと、それらが自然に出てくるようになるのだ。


多くの人に分かりやすい例が思い浮かばないが、通勤通学など、よく通るルートなどは、無意識で通り過ぎていたことなどないだろうか。


ちなみにこれに気づいたのは、組手のことを思い返していたときだ。以前私は自分の力を試したくて仕方なかった。それでよく組手をしていたが、よく無意識になるというか、頭の中がしんとする瞬間があった。そういうときは、正しく反応できていた(無意識だから本人は思い出せない)。


左脳の働きは、ネドじゅん氏の著書にあったが、この世のルールや過去未来などについてだ。あとは、人間関係に気を使うことも入るのではないかと思う。左脳を使いすぎると、脳疲労という状態に陥る。右脳ですいすいやっているときは、逆に脳みそは疲れ知らずである。だから人は職場の人間関係が…などの悩みを抱えやすいのではないかと思う。それが肉体の命をも脅かすほど自分を疲弊させるのを、人は本能的に知っているのだと思う。

ネドじゅん氏いわく、右脳は太古からあり、猛獣などと出会ってもそれのおかげで生き残れたのだという。左脳はそれよりずっとあとに生まれたのらしい。


思い返せば30代半ばまで右脳中心に生きてきた。理屈で考えず楽しそうと思える方へ進んでいた。それでとても幸せだった。

周囲の人を悪く言うわけではない。先に言っておく。

ただ、親の意向を汲んで結婚、その後支配的なパートナーとの付き合いで、自分の楽しみでなく「周りの人に言われたから」という理由で進路を決めるようになってから、右脳の働きはなりをひそめ、幸せを感じられなくなって、すっかり閉塞的になっていた。


これからは直感的に右脳と相談して生きて行こうと思う。






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