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母と私【エッセイ】

私が母のことをどう思っているかを、過去の記事に書いたと思う。

けれど、どんな記事だったか忘れてしまった。書くとすぐに忘れてしまう。それに書いたときの思いと真逆の思いを次の日には持っていることもある。ごめんなさい。

私は母とは趣味もよく合い、うまく行っていると思ってきた。けれど、そうでもないんじゃないかということが分かってきた。

ご存知の通り、私は月に一度生理前にうつ病になる(ひどさはその時々だ)。

そしてこれも書いたかもしれないが、基本的にはあまり人に相談したり、愚痴を言いたくない。

私が愚痴を言いたくなるときは、誰かに脅かされ、相当参っているときだ。そういう時は、自分が間違っているの正しいのかを確認したくなって、愚痴を言う。

けれど、基本的には自分の中で処理したいので、参っているときには話しかけないでほしい。

そんな時でも母は話しかけてくるので、余裕のない私は苛立って返事をしてしまう。

つねづね私はそれを、「自分がいい年をして甘えているんだ」と思ってきた。

しかしどうだろう。イライラして話したくない時に話しかけてくるのは。大体イライラしていて話したくないんだなあというのは分かりそうなものである。母は、父に対しても同じことをしては怒られていた。自慢じゃないが、私は父が苛立っているときには、当たり障りなく、父の興に乗りそうな話題しか振らない。というか、基本的には話しかけない。

私のことを書くより、母が父にどんなことを言って怒られているのかを書いたほうが客観的でわかりやすいのでそっちを例にする。

父は透析を受けているのだが(遺伝病なので私と同じ病気だ)、その透析の帰りが遅かったときに母は「遅かったね、血が止まらんかったの?」と言う(透析を受けている人は、血液をサラサラにする薬を投薬されている)。機嫌の良いときはごく普通に父は答えるが、機嫌の悪いときは不快そうに答える。

私からすると母の言い方は、上の例にしても、なんとなく癇に障るのではなかろうかと思う。

透析は、父にとって不快な場である。週に三回4時間もベッドに寝ていなくてはならなくて、しかも医療者の中には不快感を与える者もいる(父の話より)。そんな場所で血液が止まらず更に足止めを食い、おそらくだが、看護師は言い訳じみたことをゴニョゴニョと独り言のように言いながら処置をする(勿論言わない看護師さんもいるであろう)。

私はそんな父に対して、母は労いの言葉をかけるべきではないかと思う。

「遅かったね」が責めているわけではないことは、おそらく父も分かっている。けれどもなんとなく癇に障る言い方なのは私にも分かる。だからそこで出てくるのは、笑顔で「おかえり」で良いのではないだろうか。

母にはいっこうに悪気はない。けれど悪気がないからとて、こちらがいつも折れているのも参る。

母は、食べること、縫い物や繕い物、お金のこと、何不自由なくしてくれた。

それで十分ではないかと言われるだろう。けれど私にとっては十分ではなかった。

私は、物質でなく、母の愛情を表出してほしかった。「よくできたねー」とか「頑張ったねー」とかそんな些細な言葉が欲しかった。それとか思春期には何かを相談したりしたかった。

けれど、私が相談しない性格なのと、母の不器用さが災いして、そういう関係性にはならなかった。

だからか、私の心がわからなくなった母は、私を時に追い詰めるようになった。

私は母に頼んだことがある。追い詰めないでほしいと。

しばらくは優しく見守るような言葉をかけてくれる(そっとしておいてほしい時は、それでも苦痛なときがある)。

けれど我慢できなくなるのか、自身の不安(私の将来が不安であること)を漏らす。

そんなことを何十年も繰り返してきた。

けれど、私は母が悪いと思ったことは一度もなく、私自身を責めてきた。母はこんなに良くしてくれているのに…と。

けれど、昨日小競り合いがあって気づいたが、私達は根本的に合わないのだな、と。

元来誰でもよいところを見つけ、仲良くなろうとする私だが(これはきれいごとではない。これのせいで自分を責めて生きてきた)、まさかこんなに身近にこんなにも合わない人がいるとは。

だけど、やはり母は特別である。産んでくれた人、手塩にかけてくれた人は、やっぱり自分にとって特別ではないだろうか。

母がある時語ってくれた。私が産まれたとき、本当に愛おしくて、誰にも触らせたくなかったと。

そんな母をどうしたら幸せにできるのかと思うと、私は悲しくなる。


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