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「読書」と「読書感想文」とわたし

わたしは読書感想文を書くのが好きなタイプの人間で、大人になってもこうやって読書感想文を書く場所を自分で作ったりしています。
大学時代は個人ブログ全盛期って感じで、わたしもブログを作って毎日そこに日記を書いていたけど、その半分はブックレビューでした。(つまり2日に1回は本の感想文を書いていた)
読書感想文と聞いただけで「あんなクソ課題」と言い切る人間も結構な数存在する中、どうしてわたしはこういう人間なのかというと、実は明確に「そう育ててもらった」という経験があるからです。
今回それをここに書いておこうかな~と思います。これがわたしの「読書」と「読書感想文」、そして「思考を文章にする」の原体験だと感じているので。

小学1年生の夏休みでした。
自由研究・自由作文の宿題があり、当時「言われたことは何でもできるけど『自由にしなさい』と言われると途端に動けなくなるタイプ」だったわたしはこの宿題に早速困っておりましたが、そこに母がこう提案しました。
「私と交換日記をしよう」「あなたは本を読むのが好きだから、読書感想文の交換日記はどう?」
学校の宿題なのに、そんなあからさまに親を巻き込んだ形態でも良いのか? そういうのアリなのか? と思わなくもなかったけど、まあでも面白そうだし、本を読むのは好きだし、うまくやれそう、と考えて賛成しました。
そして夏休みの1か月半、母親と読書感想文交換日記をやったわけです。

フォーマットは単純。
普通の横書きノートで、見開き1ページを使い、左側がわたし、右側が母。
読む本はわたしが決め、タイトルと作者を明記する。
あとはすべて自由でした。何を書いてもいい、と言われて、物語に出てきたキーになるものの絵を描いた記憶もある。

当時は確か『わかったさん・こまったさん』シリーズ、『かいぞくポケット』シリーズ、『なん者ひなた丸』シリーズ(な、懐かしい~~~ッ)なんかが好きだった。家族全員分の貸出カードを我が物とし、市営図書館に通い、山ほど本を借りて帰るのが本当に好きでした。
でも読書感想文を書くのは初めてでした。学校でも書き方を教えてもらってはいなかった。
だから、わたしの最初のページは、本当に拙い作文だったと思う。「この主人公がすきです」「ぶじにおうちに帰れてよかったなと思いました」その程度だったはず。
交換日記ですので、次は母からのアンサーです。
母も同じ本を読んでくれて、そして右側のページに丁寧な返信をくれました。
「この主人公はかっこいいね、ここのセリフがいいなあ」「あなたはどのセリフが好きだった?」「おうちに帰れて、きっと待っていたお父さんお母さんもほっとしたよね」
そしてわたしにノートが返ってくる。わたしはまた新しい本について書き、母が返信をする。その繰り返しでした。

当時は気付いていませんでしたが、これは本当にすごい「教育」だったと思います。
母は、直接的に赤ペンを入れるのではなく、もっと間接的に、ひとまわり大きな枠組みで、わたしの作文を添削していました。
「こういうふうに書けば良いよ」というのを、直接そう指示するのではなく、実際の行動で教えてくれました。
感情・感想の根拠を提示すること。キャラクターごとに違う視点を持っているのだということ。キャラクターの行動の善悪・正誤を読者のわたしたちはどう考えるか。もし自分ならどうするか。
そういう考え方を、母は何も言わずにただ手本だけ見せ、わたしに沁み込ませようとしてくれていました。

ひと夏それを繰り返し、結局ノートはほとんど埋まりました。
たぶん母はわたしの読書スピードについてくるのが大変だったと思う。いくら児童書とはいえ、ほとんど図書館で借りる本ですから返却期限もある、自分のところにノートをずっと止めておくわけにもいかない。夏休みの子どもたちを抱えて家事をしながら、ノートを埋め尽くす数の本を読み、作文するのは大変だったでしょう。
わたしは呑気に「楽しかった!」と思っていたので、夏休みになるたび「またあれやろう」と言ったものですが、確か3年目にはついに断られましたね。(2年目は再びやった記憶がある、というかノートが2冊は残っていたと思うので1年1冊と考えると少なくとも翌年は付き合ってくれたはずです)
断られたタイミングはちょっとあやふやですけど、断りの文言は覚えている。
「あなたはもうひとりで本を読めるでしょう」、そう言われました。
本自体はずっと自分ひとりで読んでいる。読み聞かせをしてもらったのは自分で文字が読めなかったころ、せいぜい幼稚園のころまでだけ。交換日記のための本も、もちろん自分ひとりで黙々と読んだ。
なのに、母はそう言ったのです。何年目かになって初めて、「あなたはもうひとりで本を読めるでしょう」と。

つまり、母は「読書」の包含するものを、その大きさで考えていたのですね。ただ文字が読める・物語の中で何が起こったか理解できるだけが「本を読む」ではない、という認識をもっているひとだった。
根拠のある感情・感想をもつこと。キャラクターごとの視点を考えること。キャラクターの行動を精査し、自分ならどうするか考えること。そして、それらを「文字・文章」に、他人と共有できる形にすること。
そのすべてが「読書」だと。
小学校低学年のわたしは、それをあなたはもうできるでしょう、親の手本がなくてもひとりでやれるでしょう、と言われたのです。今思うとすごい信頼だ。
もちろん夏休み中ずっと子どもの読書に付き合うのがもう無理だという理由もあっただろうと思うけど、でも母は「私がもう疲れたからやらない」とは言わなかった。「あなたの『読書』を信頼する」という言葉を選んで終わりにした。
その最後の突き放し方も含めて、この母との読書感想文交換日記は、今でもわたしの本当に大切な経験のひとつです。

改めてこうして思い返すと、本当にすごいな……本当にこれ小学1年生に対して施す教育か?
でも確かに小学1年の夏なんですよね……
わたし小学1年の冬休みに引越しと転校をしたんですけど、母とのあの交換日記を書いたダイニングテーブルの記憶は、確実に引越し前の家のリビングでしたから。

ところで、読む本はわたしが決めて良かったので自分の好きな本ばかりを選んで読んでノートに書いたんですけど、もしそうじゃなく母が指定していたらどうなっていただろうと思うことは時々あります。
読書感想文を嫌う人って、まあ様々な意見があると思いますが、「指定図書」が嫌いという一派はまあまあの規模いるでしょう。自分の好きなものなら書けるけど、興味ない本読まされて感想もなにもねえわ、みたいなタイプのひと。
わたしも読んだ本が「つまらなかったな」と思うことはあります。読み終わったあと特に何の感情もなく棚に戻して今後もう手に取らないような本を読んでしまうことが。そういうのを母から「次はこれを読んで感想を書きなさい」と言われていたら?
まあわたしは良い子の真面目ちゃんだったので、大人から褒められるような感想を捻り出して心のない文章を書いていたかもしれませんが……
でも、もしわたしが「あんまりおもしろくなかった、つまらなかった」と書いて母にノートを回していたら、きっと母はそれに対しても大きな枠組みの柔らかな添削と手本をくれただろうなと思うんですよね。
「確かにこういう部分がおもしろくなかった。私がこの主人公だったらここでこういう行動を取って、あたらしくもっとおもしろい冒険に行ったかもしれない。あなただったらどうする? あなたはどこがつまらなかった? そこをどうしたらおもしろくなるかな?」みたいな。
母は、「こういう感情を持て」とは言わなかったので。ただずっと「感情の根拠を教えて」とだけ指導してくれたので。
学校で課題として出される「読書感想文」も、こういうふうに指導してもらえたらきっと良いよね、と思う。つまらないと思ったならそれでもいい、なぜつまらないと思ったのかを書けていればいい。
「本に対する自分のリアクションを、他人にも伝わるように言葉にする」、それが読書感想文だと思うからです。わたしはそう教え導いてもらったからです。

これがわたしの「読書」と「読書感想文」の原体験です。
読書感想文、大好き。
そして読書がとても好き。
わたしは生きる限り読み続けるし書き続けると思う。ハッピー!


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