無邪気な夢を見る時間へと

無邪気な夢を見る時間へと

 いつの頃の自分だったか思い出せなかった。

 しかしいつも子供の頃の夢を島田勝也は見る。

 決まって公園で走っており、無邪気に、とても胸を躍らせながら、走る先にもっと素敵なことが待っていることを知りながら足もどんどん軽やかになり、足も早くなっていく。

 緑に囲まれ木々の香りを掻き分けて、学校帰りで、背中に背負ったリュックの重みなど感じないほど、何かに期待しながら、好きな人でも待っているかのように。

 勝也は、その夢を見る時、気分が重い。

 一人部屋のベッドの上で汗まみれで起き、体の中には疾走感が残っている。

 特に休みの日、朝まで悠々と寝ておりカーテンから日の光りが部屋に滲み込んで来る時によく見るらしいことはわかっていた。

 休みの日くらいゆっくり休みたいのに、睡眠が夢で中断されることが不愉快なのではない。

 今の自分の生活に胸躍るようなことも、血が沸き立つような興奮もまったくなく、仕事に行っては疲れ、もっと休みが欲しいと同僚には愚痴り、休みの日は疲れきった体を休めるために一日中使い、結局のところ職場と家とを往復するだけの生活に成り下がっている現実が、希望溢れる子供の頃の夢に焼かれるように照らされるのが辛いのだった。

 職場に通う途中、夢の中のような子供を見る。

 何故、それほどまでに無邪気なのか。大人になったら辛いんだぞ。仕事して食っていかなきゃいけないのに。

 恨み節をこぼしそうになって、自分の腐れ具合に溜息すら出る。

 それを朝っぱらから出そうものなら、職場に着く前に帰りたくなる。

 勝也の現状はここ一年ほどで急激に厳しいものになってきていた。

 前社長が副社長と取り巻きに会社を追い出される形となり、会社の一部は前社長が買い取り前社長派たちは離脱。残った社員で立て直そうにも人手不足が深刻な上に、新規事業に乗り出そうとするお粗末さ。挙句の果てには任されたプロジェクトが二ヶ月で結果が出ないからと下ろされ後任をあてられ、勝也はまた新規プロジェクトを任されようとしている。

 新しい社長は経営のセンスがまったくなく、社長の取り巻きもイエスマンばかりで勝也の苦言もまったく通らない。勝也ばかりの責任を追及され、仕事時間ばかりが増える。十三年勤めてきたが三十歳限界だと感じた。

 結婚をしたいと彼女からも言われている。

 彼女との子供のことすら考えられず、淀みきった心で憎々しげに目の前の子供を見るようでは、子供を望む彼女との新しい生活も成り立つはずがない。

 いつもの帰り道、子供を見かけた。

 無邪気だ、と思った。子供の無邪気さが清らかなことのように思えた。大人になればなるほど息苦しい。何かに責められたり追われたりすることが多くなる。大人になればなるほど夢を見られなくなる。

 そんな現状が自分に夢を見させるのか、とも思った。今の自分は何かを失いかけている。

 ここ数年心が躍ったことなどあるだろうか。希望を感じたことはあるだろうか。道の先には光りがあるかのような思いで軽やかな足で走ったことはあるだろうか。道すら見失いかけている。

 無邪気さは、明るい。どうして輝いて見えるのだろう。いや、昔自分だって無邪気に物事を考える時期があったはずだ。

 勝也は思い出そうとした。公園のベンチに座りうずくまるように頭を抱えながら。

「大丈夫ですか?」

 声がした方へ顔を上げると夕陽の眩しさに顔が見えなかった。目が慣れてくると老婆が心配してくれたのだとわかった。老婆、といっても髪が白いだけで随分と肌の張りもよく、背筋も真っ直ぐで、変わっているがお洒落な服を着こなしている。

「大丈夫です……」

 次のありがとうの言葉を出す前に、服に目を奪われ見入ってしまった。その後老婆と会話するうちに色々と話をしてくれた。

 孫が次々と服を買い換えるから、捨てるのがもったいないから仕立て直しをしている、という。

 生地もパッチワークなどを駆使しているため、時折斬新な色使いもあるが、いかにも若々しい色使いで着ている人間を明るく見せる。

 その話の間に「もったいないから」という言葉が何度も出てきて勝也は気がついた。

 子供は何一つ無駄にしておらず、降り注いだ素敵なものを全て受け取っているから、あれほど無邪気なのではないか、と。だから、希望が見えるんだろう、と。

 そんなように思えてきて、勝也は老婆に心の底から「ありがとう」を言い、家路に着いた。

 仕事はいつでも辞められる。変わらないことに心を砕くよりも、変えられることに心躍らせていけば、もしかしたらこの会社じゃないかもしれないが、希望は見つかるはずだ、と心に強く思った。

 時折見る夢のことを思い出し、勝也は重石が取れたかのような微笑を夜空へ向けた。


参考写真:Joe Chan

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光野朝風
あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。