日記(8) 変化、想像力

自分というものは自身が何も行動に移さなければ変わる事はないと思っていた。鍛えてもいないのにたくましい体になる事はないし、勉強しなければ新しい知識が身に付く事はない。

だが、それは個人レベルの話であって、僕が身を置いているこの世界は気がつけばどんどん、凄いスピードで変化している。一体誰がその渦を巻き起こしているのか。その変化、に適応する事ができなければ、それこそ自身が変わる事を放棄してどんどん時代の隅に追いやられていくのかもしれない。

人というのは変化を嫌う生き物でもあると言える。ようやくここが安住の地だと思える場所を見つけているなら尚更。その居心地の良い場所を手放したくない故に、新しい風を拒む。

そうも言ってられないような状況が今。世界中の人々が今、生活習慣を変えざるを得ないでいる。こんな事態、誰が想像したか。これを受け入れる事ができるか否かはまさにその想像力にかかっているのかもしれない。

今の状況にはおおむね満足している、でもこの状況っていつまでも続くのかな?ある日そんな思考にふとなれる人は、こうきたかと身構える事ができるような気がする。命に危険が及んでいるとなればなおのこと。

こんな状況に日本は上手く対応できるはずがないというのは案の定であった。平時でさえ命を粗末にするように、健康を損なうまで働かされる、それどころか別の、命にかかわる災害が迫ってもスパッと働くのを止めようとしない国である。感染症が蔓延しているなんて理由を果たして受け入れる事ができるのか。そこもやはり想像力が鍵になってくる。いつかこんな日がくるのかもしれないという想像に。

それでも、先に言ったようにこの変化に適応しなければいけない。間違いなく従来のやり方で対応できるような事象ではない。この変化にさえ何事もないように頑なに変える事を拒む組織、人間はそれこそ時代の隅に追いやられて最悪、消えてなくなるかもしれない。

一度、作られた型を柔軟に変容できない頭の固さ、一旦ここは休もうという決断になぜか抵抗を覚える性質がここでは命取りになる。それを一度でも止めてしまうと生活できないのなら、こういう有事を想像、想定せずにシステムを作ってしまった国の、経営者の責任だという無情な言葉で片付けられてしまうのか?これもこの地球を我がもの顔で暮らしているツケか。

変化、変革による犠牲も残念ながらある。

その中で今までとても身近な存在であった食品、飲料、生活必需品を扱っているスーパー、コンビニ。こんな状況でも営業しなければいけないのを見ると有難いとより思うのではないでしょうか。

どこかで、誰でも、初めてアルバイトをする高校生でも気軽にできる簡単な仕事と捉えていて下に見ている人もいた。でもこの緊急時でも第一に求められる仕事だと炙り出された。

医療関係者、警察、消防、そして生活を支えている小売業の人たち。先に上げた職業と実は肩を並べる大事な存在。これを機にもっとこの職業に対するリスペクトをして然るべきである。

この嵐が通り過ぎた後、私たちの暮らしはどう変わっているのか。一度変えてしまったものをまた元に戻すのも面倒だと思い、特にこれで支障はないのでそのまま続ける、これもよくある事だし、インパクトが大きい事であるからもう体に染み付いているかもしれない。

東日本大震災を機に節電意識が高まったと同じように今回の件で、マスクは常に備蓄しておくという家庭が増えると思うし、1日何回か部屋の窓を開けて換気するというのもそうだろう。地震がきたら高台に逃げろの次は感染症、3密の知識が一般市民に知れ渡った。この国は次から次へと自然災害に対する知識、耐性がついてきているな。

循環している大きな活動でさえ止めて、形を見直さなければいけない時が来る。それに瞬時に対応できるかはそれを受け入れる想像力、器があるか。変わらないものなんてないのだから、次の変化に備えるのは大事ですね。それはここまでの歴史が教えてたりしているのですが、実際にその波が押し寄せてこないと実感はわかないのは無理もないかもしれません。その歴史から学んで、これからはこういう時代になるかもと予測できるのもやはり想像力です。歴史は繰り返す、かつて感染症で苦しんだ歴史があるように、これからもそういう事が起きるということ。それをもう医療が発達した今だったら起きるわけがないと妄信してしまうのは早計だということですね。

突拍子もない想像が、もしかしたら現実になる、これも頭に入れておきます。

現在「自分のビジネス」を構築中なのでこれはためになったと感じてくれましたら是非サポートをお願いします!