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いまだからこそ丸裸になる自己開示シリーズ第4弾。ワクワクする営業強化策とスピリチュアルへの目覚め。

いまだからこそ丸裸になる自己開示シリーズ第4弾。
ワクワクする営業強化策とスピリチュアルへの目覚めの巻。

いま、このタイミングで、
自分と向き合う時間を取ろう。

出来ること。
やりたいこと。
やならければならないこと。

を書きだし整理したときに、
どんな感情を味わうのか?
どんな想いが出てくるのか?

是非ともこのタイミングでやってみてね。

自分と向き合うために、自分がやってきたことや、
そのときに感じていたこと。
いま、振り返ってどう感じるかをメモ的に書いているので、
これから先は、出来るだけ、読まないでね。笑

さて、今回は、
麻乃変風を丸裸にする自己開示シリーズ第4弾。
ワクワクする営業強化策とスピリチュアルへの目覚めの巻。

そもそも目に見えない世界について、
子どもの頃からとても興味を持っていたことを覚えている。

高校生のときに、初めて守護霊が見えたり、
エネルギーを感じるという不思議な人と出会った。

その不思議な人から、左足首が気になるので
気を付けるようにと言われ、その1週間後に、
かなり激しめの捻挫をした。

ちょっとした自慢話になっちゃうんだけど、笑
僕は、子どもの頃から運動神経が飛びぬけて良かった。

小学生2年生のときには、廊下でバク転をしたり、
鉄棒で大車輪をして友達や先生を驚かせていた。

広島市南区にある皆実小学校に通っていたが、
学年で一番足は速く、野球、サッカー、ドッチボール、
水泳、卓球、どんな種目もスポーツは得意だった。

小学生のときの夢は、オリンピック選手になることだった。
また、小学6年生のとき、広島カープ設立以来の初優勝の年
だったこともあり、野球選手になりたい友達はかなりいた。

中学1年生のとき、柔道一直線というテレビドラマに影響され、
柔道部に入部し、新人戦で広島市で準優勝した。笑
足腰が強かったんだね。

しかし、中学2年生のときに、柔道部は女子にもてないと思い、
女子にもてそうなバスケットボール部に移行し、広島では、
ちょっとした注目される選手になった。

女子にもてそうなスポーツということが重要だった。笑

当時、野球、柔道、サッカー、アメフト、ボクシング、
相撲など、ほとんどのスポーツで優勝を総なめしていた
崇徳高校にバスケット部へのスポーツ推薦で入学した。

崇徳高校のバスケットボール部は、2部でとても弱かったが、
練習は、血を吐くほど厳しかった。
僕の学年では、30人入部したが、残ったのは4名だけだった。

僕は、1年生でレギュラーになり、2年生でキャプテンとなり、
崇徳バスケ部は、県ベスト4になり、広島選抜にも選ばれた。

そんな僕が、人生初の捻挫で1か月の安静だった。
今までの人生の中でもこの捻挫が一番大きなケガとなっている。
「左足首気を付けてね」と言われ1週間後だった。

「なんでわかったのか?」

を聞いてみると、左の足首だけが黒ずんだ影が見えていたらしい。
目に見えない世界があることに、とても驚いた。

さらに、当時流行ってたのが、超能力者のユリゲラー。
スプーンを曲げたり、止まっている時計を動かす超能力に
とても興味を持った。

興味を持っただけではなく、スプーン曲げを一生懸命練習をした。
しかし何も出来なかった。

大学生になってもその興味は続いており、長崎の4次元パーラー
あんでるせんに通っていた。

人生初のUFOと遭遇したのも大学2年生の夏休み。

与論島で8名の友達と夜の砂浜に寝ころび、流れ星を眺めていた。
すると、突然、大きな光が現れ、その光が3つにわかれ、
さらに5つになって不思議な動きで飛んでいたのを30分ぐらい
友達8名と一緒に眺めていた。

今考えると、それを機にいろんな不思議なことを体験し始めた。

大学生のときに出会った本に「思考は現実化する」
「マーフィーの100法則」に、とても共感するものを感じた。

自己啓発系の本の中でも僕の人生を大きく変えたのが、
船井幸雄さんの著書「人間の研究」である。
今、振り返ると、この本がきっかけで
さらなるスピリチュアルに興味を持ちはじめた。

人間の研究を読んでるとき、「船井幸雄さんに会ってみたいな」
と、思ったその瞬間に、先輩から電話があった。
とても楽しみにしていた講演会に行けなくなったので、
代わりに行って欲しいという電話だったのだ。

誰の講演会ですか?
船井幸雄って知ってる?

・・・・・・。

わお!!!!!!
いま、その船井幸雄さんの本をちょうど読んでて「会いたい」と
思ってたその瞬間にこの電話ですよ。

みたいなことが、日常茶飯事に起きるようになった。
いわゆるシンクロニシティというやつだ。

その後、その先輩と、バシャールのイベントを開催することになる。
今から35年前だ。山川夫妻をお呼びし、会場から質問がある人を
ステージに上げ、バシャールとチャネリングしてアドバイスする
というイベントだった。

「わくわくすることをやりなさい!」

このイベント後に、僕が代表だったフリーペーパーを発行する
企画サークルで、広告営業をいかに強化するかを考えていたとき
閃いた!

「ワクワクする営業強化策を発表しまーす」

営業とは、好きな女性をくどくのと一緒である!
という僕の理論をもとに開発した営業強化策である。
というよりゲーム的に開催した。

広告営業チームは5名いた。
夕方5時に飲食店のお店に電話する。
19時に10名で予約お願いします。

5名しかいないのに、お店には10名で予約するのだ。
つまり、2時間で女性をナンパしてお店に連れてくる
というゲームである。
最後に全員投票で一番かわいい子を連れてきた人の勝ち。

このワクワク営業力強化ゲームのおかげで、
かなり営業力が磨かれた。と思う。たぶん。きっと。(-_-;)

相手が考えていることはなにか?
相手が困っていることはなにか?
相手が喜ぶことはなにか?
どうすれば困ってることを解決することが出来るのか?
どんなことをすると喜ばれるのか?

を自然と考えられるようになってきた。

最初のうちは、女性に声をかけることも出来なかった。
慣れてくると、どのような女性に声をかけると成功するのかが
徐々にわかるようになった。

そう、観察力である。

女性の歩き方やしぐさ、服装、髪型、化粧の仕方、持ちもの
話しかけたときのリアクションやしゃべり方。

しっかりと観察出来るようになってくると、
成功率が圧倒的に上がる。
10人に1人だったのが、3人に1人の確立で
お店まで連れてこれるようになる。

おっと、大切なことがあった!
女性に声をかけるための3つのルールを決めていたのだ。

1.うそをつかない。
2.女性を大切に想い傷つけない。
3.ダサいことをしない。

なので、僕たちが声掛けした多くの女性は、友達になり
サークルスタッフになる人が多かった。

スタッフになる女性は、続々と増え続け顔と名前が一致
しないほどのサークルは巨大化していった。

全然知らないメンバーから、サークル入会の勧誘を受けたときは
変な優越感に浸り、自己承認欲求を満たしていた。

イメージしたことが現実をつくる。
毎日が奇跡の連続だった。
目に見えない世界を体験していた。

学生による学生のための学生のお店は、
いつの間にか学生ではなくOLで溢れてた。

なぜ、客層が変わっていったのか?

学生よりOLの方がお金を持っていた。
学生よりOLの方が美女が多かった。
学生よりOLの方が遊び方が上手かった。

という理由で、OLがどんどん増えていき
毎週土曜日は、満員御礼で行列が出来るお店になった。

お店のオーナーは気をよくして、
2店舗目の話がやってきた。

2店舗目は、1店舗目の2階だった。
完全会員制のお店にしてお店のカギを会員に渡し、
会員か会員と同伴でなければ入れないお店にした。

2店舗目の店は「ロクサーヌ」という名前にした。
スティングの曲名である。

1店舗のマネージャーを2店舗目の店長にした。
2店舗目のお店は、話題にはなったがお客さんは少なかった。

僕たちが運営していた2階建ての一軒家を壊し、
5階建てのビルを建てた。

マジックスクエアービルという名前をつけ、
デザインもさせてもらった。
バルセロナオリンピックを控えてたので、
ガウディ調にした。

写真に掲載しているビルである。

僕たちは、最上階にアフターディスコをつくった!
第二弾で登場した「ハブサムファン」である。

「こんなの初めて~」の快感で満たされる大学生活
https://note.com/asakafe/n/n9cb990ece116

19歳で個人事業主となり、CCCの仕組みをつくり、
23歳で株式会社として企画会社を設立し、
24歳で飲食会社と人材派遣会社を設立し、
26歳で通信会社を設立した。

気が付けば、4社の会社の社長となっていたが、
最後に設立した通信会社で大失敗をするのである。

26歳のときに、1か月で1億円の利益を出す事業と出会った。
売上ではなく、利益で1億円である。
それが、ダイヤルキューツーサービスである。
今の若者は知らないサービスだと思うが、
NTTがサービスの代金を代行回収するという
画期的なサービスであった。

このサービスを日本に持ってきたのが、
じゃらんを一緒に立ち上げた大阪の学生起業の代表を
していた真田である。

こんな天才大学生が日本にいたんだ!
と、当時、福岡のトップを走って天狗になっていた
僕の自信を粉々に打ち砕いた男でもある。

今でもビジネス界では、活躍中で、今後も日本の
ビジネスにおける未来を創造し続けるであろう。

この通信会社を立ち上げた半年後に、
僕は4000万円の借金を抱えることになる。
一緒に通信の会社を立ち上げた真田は、
3億の借金を抱えるのだ。

今でもはっきり覚えている。
僕が4000万円の借金を抱えたときに、
真田が目の前からやってきた。

「おーい、元気しとるかー!」
「ピンチはチャンスやな~♪」
「こんなチャンスは滅多にないで」

と、へらへら笑いながら歩み寄ってきた。

こいつ、凄すぎる!
頭がおかしくなったのか?
いやそうじゃない。

3億あった謝金の1億円を1か月で返済したというのだ。

改めて落ち込んでる自分のちっぽけさを感じた。
真田によって、自信に満ちていた僕は、膝から砕け落ちた。

当時、27歳である。
借金を抱え、途方に暮れた僕は、
全てを手放し出家することにした。

今考えると、27歳にして、やりたいことは全てやり、
思ったことを次から次へと叶っていき、目に見えない
スピリチャルな世界に目覚め始めた僕は、「出家したい」
という願望を抱いていた。

そして、その出家の願望すらも
あっという間に実現していくのだった。

出家期間は、3年間だったが、とても濃い期間であり、
今考えると、目に見えない世界をしっかりと味わい
尽くした期間となった。

悟りの体験である。

27歳~30歳を佐賀のお寺で過ごし、出家生活も3年で
幕を閉じるのだ。

ここでの生活でどんなことをしていたのか?
何が行われていたのか?

それを言っちゃうと命を狙われるかもしれないので、
気が向いたらまた書くことにするね。笑

31歳で出家生活を終えたタイミングで、
九州じゃらんを立ち上げる話がきた。

しかし、それを断り、人生初の東京に上京し、
人生初の就職をしたのだ。

今考えると、この就職期間が今の僕にとても大切なことを
教えてくれた。マーケティングの会社である。

新しい価値を生み出す共同創造体験から
僕のバックボーンとなった会社紹介の巻
https://note.com/asakafe/n/nfa21ab0ec07b

出家、就職、そして独立。
独立では、世界初のグッズを開発することになり、
いまでもそのグッズは、世界中で活躍しているようである。

ここまで自己開示したことは過去初めてであるが、
振り返ってみると、

自己承認欲求が強く、
好奇心が旺盛で、
こんなの初めて~を生み出していきたい!

これが20代の僕だった。

31歳から東京にて、マーケティング会社に就職し
学生情報センターという不動産会社の本の出版、
マンダムという男性化粧品会社の商品開発、
セブンイレブンのマーチャンダイジングと
1年間は民間のマーケティングをしていた。

2年目から農新水産省の指定コンサルとなる
全国を行脚する仕事が始まった。

中山間地域と言われる限界集落の農業を
マーケティングという手法で活性化する
お手伝いをする事業である。

ここからは、また気が向いたときに。
ここまで読んでくれたみなさんありがとうございます。

次回もお楽しみに。

今までの自己開示シリーズ。

第一弾
やりたいことは、ずっとやっていたことに気づくの巻!
https://note.com/asakafe/n/nbad6308ce468

第二弾
「こんなの初めて~」の快感で満たされる大学生活
https://note.com/asakafe/n/n9cb990ece116

第三弾
新しい価値を生み出す共同創造体験から
僕のバックボーンとなった会社紹介の巻
https://note.com/asakafe/n/nfa21ab0ec07b