自分と向き合ってみた。第3弾 新しい価値を生み出す共同創造体験から 僕のバックボーンとなった会社紹介の巻。

自分と向き合ってみた。第3弾
新しい価値を生み出す共同創造体験から
僕のバックボーンとなった会社紹介の巻。

自分とのコミュニケーションワークとして
以下のことをノートに書きだしてみよう♪

好きなこと、
嫌いなこと、
興味のあること、
関心のないこと、
やりたいこと、
やりたくないこと、
できること、
できないこと、
得意なこと、
苦手なこと、
やらなくてもいいこと、
やらなければならないこと。

前回の内容は、こんなの初めて~という
「仕組み」と「仕掛け」を創ったお話。

久しぶりに過去を振り返ったので、
調子に乗ってちょっと長くなってしまった!(-_-;)

承認欲求の塊のような学生時代だったので、
出来るだけ読まないでね。笑
https://note.com/asakafe/n/n9cb990ece116

じゃあ、書くなよ!
というツッコミが聞こえてきそうだけど、

誰かに読んでもらいたいというよりも
過去の経験としてメモ的に残しておこう
という感じなのだよ。

さて、ここまでのことを簡単にまとめると、
大学生の合コンをコーディネートしながら、
学生が行きたくなる飲食店のコンサルをして、
300人、1500人、3000人規模の学生イベントを
やりまくり大学を5年間かかって卒業する際に、
起業をする。

起業したときには、年商5000万円でスタッフは7人
となっていた。

起業は、個人事業主ではなく株式会社として法人登記。
株主が33名、資本金が555万円という生まれて初めての起業。

高校生で「人と人をつなげる」イベントに目覚め、
大学生になったさらにそれを思いっきりやってみたいと
福岡に行き、19歳からプランニングサークルを立ち上げ、
23歳で株式会社として起業し年商5000万円になった。

今考えると、人に認められたいという承認欲求だけで、
よくここまでがんばってきたなと自分を褒めてやりたい。

一番認めて欲しかったのは、自分自身なんだということに
気づき始めたのもこのころかも。

全国的に、学生起業家が出現するというおもしろい現象が
起きたこのタイミングで、全国の学生起業家たちに会いに
来たおもしろい人が僕の前に現れた。

福岡も何人かの学生起業家はいたけど、圧倒的な結果と
社会現象を巻き起こしている僕のところに会いに来た。

お前と同じような活動をしている学生が全国にいるの知ってる?
近いうちに、全国の学生起業家を一同に集める会議をやるんだけど、
東京に来ない?

「行きます!」

悩むことなく被り気味に返事をしていた。
福岡では、同じようなことをしている同年代がいなかった
ということもあり、ワクワクしたことを覚えている。

東京に行くと、全国からおもしろそうな学生起業家が
集まっていた、ほとんどが同年代だった。

全国から優秀な学生起業家が集まってるので、
新しい価値を生み出す「共同創造」が出来ないかなあ?

みんな自分の地域に詳しいから旅情報誌なんてどう?

自分が旅に行くことをちょっと考えてみよう・・・
「どこに行く?」ということではなく、
「何をしに行く?」で考えるよね?

「混浴に行きたい!」
「それどこにあるの?」

「鍵付き露天風呂に行きたい!」
「それどこにあるの?」

こんな会話になってない?
どんだけ温泉好きやねん!と大阪人からつっこまれる!笑

ということは、
旅に行く目的があって、場所は後だよね?

つまり、目的別編集の旅情報誌があればどう?

当時、旅行情報誌は「るるぶ」というエリア情報誌がメインだった。
何をしに行くのか?という目的別編集の旅行情報誌が無かった。

ということで、
僕たちが創った旅情報誌が、あのリクルートが出版している
「じゃらん」なのである。
じゃらんの立ち上げには、全国の学生起業家が携わっていた。

僕は、毎月、福岡情報をリクルートのじゃらん編集部にFAXで届けた。
当時、一つの記事で5000円。50記事で25万円。
これも記事を書くチームと「仕組み」を創った。

このきっかけをつくった全国の学生起業家に会いに来た
青山学院大学出身の今井さんは、「じゃらん」を立ち上げる
会社を起業し、今でもその会社は存続しており、僕も株主として
関わらせてもらってる。

30年継続しているというだけでリスペクト!
今では10億を超える会社になっており、マーケティング会社としては、
かなり優秀な会社で、僕が7年間在籍していた唯一の会社である。

株式会社マインでシェア
https://www.mindshare.co.jp/

今の僕があるのもこの会社のおかげであり、
今井社長のおかげである。

さらに、僕の兄は、マインドシェア九州の支社長で
まちおこしや地域活性の仕事をしている。

僕が地域活性に携わり、仕事が増えすぎて受けきれなく
なったので、兄を広島から福岡に呼び地域活性の仕事を
してもらうようになった。

地域活性の仕事は、僕が出家を終えてからになるので、
後半にまた出てくるが、いよいよ出家に至るまでの話を
次回はさせて頂きます。

4社の会社を経営していたのに、なぜ、出家したの?
というお話です。

人生大いに楽しもう♪