見出し画像

いま、このタイミングで自分と向き合ってみた。第2弾 「こんなの初めて~」の快感で満たされる大学生活。

自分と向き合ってみた。第2弾
こんなの初めて~の快感で満たされる大学生活。

自分とのコミュニケーションワークとして
以下のことをノートに書きだしてみよう♪

好きなこと、
嫌いなこと、
興味のあること、
関心のないこと、
やりたいこと、
やりたくないこと、
できること、
できないこと、
得意なこと、
苦手なこと、
やらなくてもいいこと、
やらなければならないこと。

こんなの初めて~という
「仕組み」と「仕掛け」を
創ったのは、大学2年生の春だった。

前回の続きです。

高校生のときに16万円の売上で8万円の利益を得た
という衝撃的な出来事をきっかけに、これを大学で
やってみたい!

という思いから福岡の大学に行くことになった。
読まれてない方は、こちらをどうぞ。
https://note.com/asakafe/n/nbad6308ce468

大学1年生の冬までは、中学2年生のときから6年間
付き合っていた彼女がいたので、何も考えなかった
んだけど、彼女と別れてからというもの僕の頭の中の
98%は、異性のことで溢れかえった。笑

いや、待てよ。
俺だけじゃない!!
大学生のほとんどは、異性のことしか考えてない!
ということに気づいた。

そこで、思いついた「こんなの初めて~」という
サービスが、僕たち私たちとコンパしませんか?
というコンパコントロールセンターCCCである。笑

今考えたらすごいネーミングだね。
ダサすぎる!!笑

出来ることなら、誰にも言いたくない!(-_-;)
センスが疑われるネーミングである。笑

今から37年前。
当然であるが、携帯なんて無い時代だ。

よし、このCCCの「仕組み」と「仕掛け」を創ろう!
と思ったわけではなく、「ビジネスにしよう!」とも
思わなかったが、あれよあれよと仲間が集まり、
気が付けば、「仕組み」と「仕掛け」が出来上がり、
テレビ、新聞、ラジオに取材されまくり、CCCは、
大ブームとなった。

「こんなの初めて~」が
どんなサービスで、どんな仕組みだったかを教えよう。

最初にしたことは、
僕たち私たちとコンパしませんか?
というフリーペーパーを創った。

福岡の大学に出向き、かわいい女子や、かっこいい男子に
声をかけまくり、写真撮影してフリーペーパーに掲載する。

創刊号は、A3の2つ折りを2枚で8P。
フリーペーパーの名前は、「ミルキーギャング」
広告収入で15万円、印刷費2万円、13万円の利益。

発行部数は1万部。
福岡の大学の門前で手配りをする。
これを毎月発行していたのだ。

このときに、まだまだひよっこだった僕たち大学生が
つくるフリーペーパーのスポンサーとして応援してくれた
素敵な大人たちとたくさん出会った。

その中でも印象に残ったのは、いまでは全国的に有名に
なったピエトロの村田社長。
まだ、お店はなく、村田社長の自宅でドレッシングの袋詰め
作業を何度か手伝いに行ったこともある。

そして、博多ラーメンの代名詞にもなっている一風堂の川原社長。
川原社長も、まだ一風堂をしてなくて「アフターザレイン」という
おしゃれなBarを国体通り沿いのお店でやっていた。

フリーペーパーのスポンサーになってくれたお店に、
コンパを申し込んでくれた大学生たちを紹介し、
売上の20%をお店から頂くという「仕組み」を創った。

コンパをした学生からお店の雰囲気、料理、スタッフの対応
などをアンケートにし、まとめたものをレポートにして、学生
から受け入れられる店づくりのコンサルをしていた。

気が付くと、フリーペーパーは、8Pから48Pとなり、
部数も増刷スタッフも30名を超えていた。

大学で東京に行った友達から連絡があり、東京でもCCCと
「ミルキーギャング」を立ち上げたいということで夏休みの
1か月間東京に行って立ち上げた。

東京は、マハラジャというディスコが大ブームになっていた
こともあり、そこにスポンサーになってもらい、1か月で
東京支社を立ち上げた。大学3年生の夏休みだった。

ちなみに、僕はお酒が飲めないし、コンパも3~4回ぐらいしか
体験したことがない。
その体験もCCCのドタキャン対応で、行ったぐらいだった。

僕たちは、プランニング集団として、フリーペーパーの発行だけ
ではなく、様々なディスコを借り切ってイベントをしまくった!

そう、高校生のときにしたダンパイベントだ。
高校生のときに衝撃を受けた2000円の参加費で80名を集め
16万円の売上から利益が8万円。

大学生になると、規模が違った!
2000円×300人=60万円の売上が平均だった。

3店舗同時にディスコを借りて、各会場をモニターでつなぎ、
1500人規模のイベントも開催した。

CCC最大のコンパは、1500人対1500人で3000人の合コン!
熊本の三井グリーンランドまで、バス60台で開催。

これをやってわかったのは、合コンは3対3ぐらいが
ちょうどいいってことだった。笑

大学4年生になり、まわりの友達は就活をし始めてた頃、
僕は、全国に200万社ある会社から、自分を活かせる会社を
見つけることなんて不可能と思い、自分で起業する道を選んだ!

結果、大学をもう1年して卒業するまでに、起業する道を選んだ。

フリーペーパーを制作してCCCを運営するチーム。
ディスコを貸し切ってイベントを開催するチーム。
を持ち、プランニングサークルZEALという団体になった。

すでに有名になっていたZEALには、
様々な案件が飛び込んできた。

福岡の一等地である親不孝通りにある一軒家のお店から、
大学生による大学生のための大学生の飲み屋をやって欲しい。

福岡の2つのテレビ局から大学生が食いつくように見たくなる
TV番組を創って欲しい。

FM福岡から就活をしている大学生向けのラジオ番組を
創って欲しい。

電通から世界中の大学生が集まるユニバーシアードを福岡に
誘致するのに力を貸して欲しい。

ここには書ききれないけど、これぜーんぶやった!
やりつくした!!

毎日が、シンクロの嵐だった!
飲み屋さんは、毎日行列の大繁盛店になった。

結果、一軒家を5階建てのビルにして最上階を僕たちの
お店であるアジトにした。

「こんなの初めて~」という店だった。

当時は、ディスコの後に行くディスコだったので、
アフターディスコと言っていたが、今でいうクラブである。
終電を逃した人たちが朝6時までいられるお店。

僕は、ソウルミュージック、R&B、ファンク、ブラック
ミュージックが大好きでDJをやっていた。

お店の名前は、「ハブサムファン」
僕の大好きな曲名を店名にした。
https://www.youtube.com/watch?v=ci7lsb4sfNw&t=4s

しかし、失敗もかなりある。
というか、失敗の方が多い。笑

僕の強みの一つは、失敗を楽しめるということだ。
いや、もはや、失敗なんてないと思ってる。
全てが経験であり、経験をするために生まれてきた。
と、思っているからだ。

超長くなったけど、ここまでが僕の大学生時代。

過去のことを言うのは、あまり好きではないので、
この話は、初公開!

しかし、卒業して起業して24歳~31歳までの展開が、
さらに、波乱万丈なのである。

なので、気が向いたら続きを書くことにしよう。