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サイクリング・アラブ首長国連邦、自国民の存在感がないほぼインド人の国

アラブ首長国連邦(United Arab Emirates)。

1968年までイギリスの保護下にあり、独立は1971年。
7つの首長国(Emirate)から構成される。
アブダビ首長国、ドバイ首長国、その他。
その他はまったく耳に馴染みがないし存在感も薄すぎるので省略。

ここも、スーパーフレンドリーな人たちがスーパーウェルカムしてくれる。
国境で入国手続きをすませると、係員が「待て待て」と引き止め、僕に水を渡し、コーヒーまで入れてくれた。
しばし係員と友人のように談話。

入国後も、次々にからんでくる。

差し出されたドリンクとおっちゃんの風貌を見て、「ビール!?」と聞いてしまったが、エナジー系ドリンクだった。

会う人会う人、無邪気に写真を撮りたがったり、水をいただいたり。

もちろん全員男だが、生粋のUAE人はわずか13%、残りの87%は外国籍。
やはりインド人、パキスタン人、バングラデシュ人など南アジア系が圧倒的。
外国人の割合は年々増加している。

面積は北海道ほど。
サウジアラビアに比べると小国に思えてしまうが、ここも広大。

爽快な砂漠キャンプ。

ここはイスラム文化もそこまで厳しくはないということで、忌々しい長ズボンを捨て、短パン復活。

サウジアラビアでは外国人労働者もほぼ男性だったが、ここでは女性外国人も多い。
髪も肌も隠さす、特に都市部では露出度高い。

店に入ると、店員はほぼインド人。
接客態度が良くてビックリ。
この国に来るインド人は上位カーストに違いない。

聞こえてくるのは、英語のみ。
一応、公用語として指定されているのはアラビア語なのだが、この国では英語だけで完結できる、というかアラビア語は通じないんじゃないかな。

ネット回線による通話ができない。
政府によるネット監視の関係だとか、あるいは通信会社を儲けさせるためだとか。
たしかにSIM購入した時、通話サービス、国際通話サービスについてやたら長々と説明を受けた、ほとんど聞き流したけど。
文字や画像の送受信は問題なくできる。
ネット回線で通話するならVPNを使うしかない。

サウジアラビアと同じく、ここも絶対君主制。
クウェート、バーレーン、カタール、オマーンなど、アラビア半島の産油国は軒並み絶対君主制、あるいはそれに近い権力を国王や首長が掌握している。

2011年アラブの春において、これらの産油国で民主化運動が起きなかったのは、あるいは起きても大事にはならなかったのは、オイルマネーがうまく分配されていることで国民の生活が潤っているため。
とするとやはり問題は、「独裁か民主主義か」ではなく、「生活が潤っているか困窮しているか」に尽きる。

首都アブダビ。

知名度ではドバイだが、UAEの圧倒的ボスはアブダビ。
国土の80%、産油量の95%をアブダビが占める。
UAEの大統領はアブダビ首長、副大統領はドバイ首長と決まっており、政治的リーダーシップもアブダビにある。

日本との関係は非常に深い。
UAEの原油輸出量最大の国が日本。
日本にとってはサウジアラビアに次いで2番目に多く原油輸入しているのがUAE。

日本はアブダビでいくつもの油田を採掘し、1969年に権益を確保。
延長に延長を重ねて現在にいたり、2050年代まで権益を保証してもらっている油田もある。
共同石油備蓄もおこなっており、緊急時には優先的に供給してもらえることになっている。

いずれ枯渇するであろう石油への危機感から産業の多角化を進めている中東の産油国たち。

非産油国の日本は経済力と技術力を武器に石油を確保してきたが、経済も技術も落ちぶれれば石油確保もできなくなるかもしれない、そんな未来への危機感はあるだろうか。

驚くべきことに、UAEは歩行者優先。
車は必ず歩行者に譲ってくれる。
サウジアラビアの隣国とは思えない。
クラクションは、まったく鳴らないわけではないが、サウジアラビアと比べたら6~7割ぐらい減少。
歩行者も、律儀に信号を守っている。

アラブ人支配層+南アジア系労働者、という構造は同じなのに、人々の慣習の違いではなくルールが厳しいのだろうか。

アブダビの宿で、インド人と出会って話をした。
彼はつい1ヶ月前に日本を旅行したという。
日本に行ったことがあるという人は皆、日本を大絶賛してくれる。
彼はインド人のくせに、クラクションを鳴らしたり人前で大声で電話したりするノイズが大嫌いらしく、僕と気が合った。
しかしそれじゃインドでは生きていけまい。
「日本では電車内でもどこでも、迷惑電話する人もいないし皆行儀良くしている、これはルールでそう定められているのか?」と聞かれた。
「いや、場所や店によってはそういうルールがあったりもするけど、基本的には他者へのリスペクトで自主的にそうしてるよ」と答えたらえらく感心していた。

突如砂漠に出現する自転車道。
こんな砂漠のど真ん中、しかも平日なのに多くのサイクリストたちとすれ違う。
ほぼ欧米人、ほぼ高級ロードバイク。

こんなにも静かな道、いつ以来だろうか。
アラビア半島ではずっとハイウェイ走行で、昼も夜も車の音が絶えなかった。

皆さん車に自転車を積んでサービスエリアまで来て、そこから砂漠サイクリングを楽しんでいるようだ。
サービスエリアにはなんと修理屋まである。

ここはサイクリングがさかんなんだな。
アラブ人ではなく欧米人だから、これは自然な現象か。

ドバイへ。
自転車道がドバイ市街中心まで続いていればいいのだが、そうはいかない。

ここもやはり、超車社会。
欧米人サイクリストたちはあくまでスポーツやレジャーとして楽しんでいるだけで、移動手段としての自転車は普及しない。
幹線道路はハイウェイとして張りめぐらされており、ハイウェイを横断する歩道橋や地下道などはめったになく、強行突破せざるをえない場面も多い。
おそらく地元民は、ハイウェイで囲われた範囲内では自転車や徒歩で移動したりするが、その範囲外へ出るには車に乗るしかない。
いややっぱ不便すぎるだろ、この都市構造。

ここ走ってていいんだろうかと不安につきまとわれている時に、キックボードで颯爽とハイウェイを走っている人を目撃するとホッとする。
キックボードに乗った中国人女性が陽気に「ハロー!」と声をかけてきて、「私についてきて!」と先導してくれた。
彼女には助けられたが、自転車でドバイに行くというのはやはりかなりムチャなことだ。

苦労してドバイ市街地へ到着。
アブダビもドバイも安宿は豊富にあるが、どこも極狭。
自転車を中に置かせてもらうことはできず、わざわざパッキングして強引に入れる。
こんなの初めて。

ドミトリーも自分の荷物を置くスペースすらなく、全部ベッドへ。
旅人たるもの、どんなところでも寝れるもの。

街は、ほぼ欧米。

アメリカかヨーロッパかどこかのリゾート都市、と言われても違和感ない。
はるばる中東アラブまでやって来て、欧米テイストをゴリ押されてもね。

そこらを歩いているのは、だいたい白い人。
東洋人もちらほらいるし、あとはいつも通り南アジア系労働者たち。
生粋のアラブ人らしき人は見かけない。

老人もいない。
高齢者(65歳以上)はわずか1.83%、世界215位。
人口の87%を占める外国人は原則としてUAEの国籍取得はできず、いずれは帰国しなければならない。
老いた外国人は追い出され、若い労働者が取り入れられる循環が確立されており、生産年齢(15~64歳)人口は82.9%で世界1位。

生粋のUAE人は、この国に生まれた時点で勝ち組。
国からの手厚い保護を受け、スーパーイージーモードで生きていける。

すべてが「国の生き残り」にチューニングされている。
文化を犠牲にして欧米カラーに染まろうがかまわない。
インド人まみれになろうがかまわない。
クウェート、バーレーン、カタールなども似たりよったりの国家構造。

ちなみに日本の高齢者率は29.9%、世界2位。
1位はモナコだが、人口わずか3万人。
このミニ国家を無視すれば、日本はダントツで世界一の高齢化社会。
日本の生産年齢人口は59.4%、世界174位。

ビジネスにしても旅行にしても、ここにいるのは富裕層。
富裕層が求める街というのは、富裕性。
否定するつもりはないが、どうもこういった街並みは薄っぺらく見えてしまい、旅人としての僕の感性はピクリとも反応しない。

日本は、絶賛衰退中とはいえ世界標準からするとまだまだ富裕なレベル。
でも日本の街を歩いていても富裕性なんか感じない。
楽しみと面白味にあふれた、中身がぎっしりと詰まった独自世界、という意味では大いに誇りにできる。
ただ、犠牲を払わずに守りすぎてしまうことが今後も日本を衰退させる要因となる気がする。

1990年頃までは砂の更地でしかなかったドバイ。
ドバイの産油量はUAE全体の4%にすぎず、資源の恩恵というよりは資源がないからこそ異常な発展を遂げた。
巨大な港と空港を建設することでヒト・モノの流れをおさえ、タックスヘイブンと金融業によってカネの流れをおさえ、そして観光化によって知名度を得た。
現在ドバイ経済の石油依存度は1%。

超短期戦でここまで成り上がった、その的確で巧妙な手口はまさにシンガポールとかぶる。
両国ともに、才覚あふれる独裁者のパワープレーあってこそ。
その成功には多くの犠牲を払ってきたことだろう。

そのドバイの象徴、ブルジュ・ハリファ(828m)。

世界一高い人工物。

建設当初はブルジュ・ドバイという名称だったが、リーマンショックの波を受けて負債を抱えこみ行き詰まったドバイは、アブダビに援助を求めて持ち直し、2010年に完成。
これにより、名称はアブダビ首長にちなんでブルジュ・ハリファに変更された。

夜、ニューイヤーショーを見にブルジュ・ハリファへ。
そこらの砂漠で静かに新年を迎えるつもりだったのだが、ちょっとした気の迷いで見に行くことにした。

日本製メトロで。

イスラムであることを忘れてはならない。
乗り物は男女別。

車内はほぼインド人。
皆ブルジュ・ハリファへ向かうようで、大混雑。

メトロの駅はブルジュ・ハリファの北側にあり、イルミネーションなどのショーは南側から見れるようなので向かってみた。
しかし、どこもかしこもバリケードで封鎖され、警官に追い返されてしまう。
あちこち探ってみたが、どこもダメ。
どうやら、ブルジュ・ハリファの半径数百mは完全封鎖され、特権階級しか立ち入れないようになっているようだ。
僕のような無知な初心者はもちろんだが、この大量のインド人たちも知らずにここまで来て、追い返され、グルグル回されている。

どうすりゃいいのかとさまよっていたら、不意にビルの隙間からブルジュ・ハリファが見え、ここだけ歩行者天国になっている。

なるほど、下々の衆はバリケードの外側のこの一角に集めて、この隙間から見とけや貧民ども、ってことか。

しかしインド人すごいな。
ここもうインドでいいだろ。

0:00。

明けましておめでとうございます。

以上、バリケードの「外側」の「裏側」からの眺め。

上級民たちは「内側」の「表側」でこんな感じでショーを楽しんでいたらしい↓

解散。

一斉にメトロの駅へ向かう。
道路は規制されているので、この群衆全員が電車で帰途する。
ふだんは0時で終電だが、元日だけは夜通し運行。

駅へ向かうルートも、警官たちがバリケードで規制する。
途中から「男レーン」と「女子供レーン」とで分岐。
「女子供レーン」は最短でスムーズに駅へ向かう。
「男レーン」はものすごいまわり道をさせられる。

インド・パキスタンのワガー国境閉鎖式の時とまったく同じだ。
しかしここにいるインド人は上位カースト、平均的なインド人よりずっと大人しくお行儀良く、民度高め。
それでもインド人というのは男同士で肌が触れても全然気にしないようで、限界まで詰めて密着してくるので、一刻も早くここから逃れたかった。

駅構内も大混雑。
車内は東京の満員電車並み。
久しぶりだな、こういうの。
やはり車内はインド人インド人インド人。

いつの日か、ここがインドの飛び地として独立することになっても僕は驚かないだろう。

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